ところ:喜多流大島能楽堂
開演:12:30
番組:狂言「萩大名」 茂山千五郎
能「江口」 大島政允
舞囃子「烏頭」 友枝昭世
お話 帆足正規
狂言 萩犬名(はぎだいみよう)
長らく在京中の田舎大名が遊山を思い立ち、家来の太郎冠者に相談します。冠者は、ある庭で萩が見ごろだと勧めますが、そこの主は客に必ず即興の和歌を作らせるのでした。
歌が詠めない大名に、冠者は聞き覚えた萩の和歌を教えます。覚えられないので、扇の骨や足の脛によそえたカンニングを使うことに決め、庭を訪ねますが。
舞囃子 烏頭(うとう)
舞囃子とは、一曲の見所の部分を、面・装束を付けず囃子と謡によって舞う上演形式です。
陸奥、立山に立ち寄った旅僧の前に、昨年亡くなった外ケ浜の猟師の亡霊が現れ、自分の妻子の家へ行き蓑笠を手向けて弔って欲しいと頼みます。蓑笠を手向け弔うと猟師の亡霊が現れ、我が子の髪を撫でようとしますが叶いません。蓑笠で烏頭を捕える様子を再現した亡霊は子を奪われた親鳥の苦しみを知り、今は地獄で自分が鳥獣に責めさいなまれていると告げ、繰り返し救いを求めて消えていくのでした。舞囃子では猟師の霊が猟を再現し地獄の苦しみを見せる場面を上演します。この曲独特の力ケリでの緩急のある型も見所です。
能 江口(えぐち)
西国行脚を志す旅の僧が、江口の里に来ます。ここは、西行法師が遊女に宿を断られて「世の中を厭ふまでこそ難からめ仮の宿りを惜しむ君かな」と詠んだ旧跡でした。僧がその歌を口ずさむと、女性が現れて「宿を貸すのを惜しんだのではなく、遊女の家に泊めるのは僧のために良くないと思ったのです」と言って「世を厭ふ人とし聞けば仮の宿に心留むなと思ふばかりぞ」という返歌を詠じます。女性は、江口の遊女の幽霊だと明かして姿を消します。
夜、月の澄み渡る川面に、遊女たちの乗った舟が現れます。昔のままに舟遊びの歌を歌うと、迷いに捕らわれた身を嘆き、無常を語って舞い、執着を捨てれば悟りに至ると説きます。やがて遊女は普賢菩薩と変じ、舟は自象となって、西の空へと去るのでした。艶麗ざと宗教的な荘厳さが、見事に融合した傑作です。