トップページ資料室鑑賞の手引き > 遊行柳

鑑賞の手引き 遊行柳 (ゆぎょうやなぎ)

観世信光 作  季:晩秋  所:磐城国(福島県)白河関近く

※一遍上人(1239~1289)は時宗の開祖。念仏による往生を説き、諸国を巡って「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と記した札を信者に配り、遊行上人とも呼ばれました。
後場の蹴鞠の場面は、「源氏物語」若菜上に基づいています。光源氏の邸の庭で若い公達が蹴鞠をしたとき、邸内から猫が走り出て、引き綱が簾をまくり上げます。その隙間から源氏の正妻女三の宮の姿を見て、柏木は恋に落ちます。

※後見が、古塚に立つ老木の柳の作リ物を舞台後方に出す。

 

【前場:白河の関近くの路】一遍上人の教えを伝える僧たち(ワキ・ワキツレ)が、決定往生の札を人々に与えながら諸国を遊行し、上総国(千葉県)から奥州を目指し、秋風の吹くころ白河の関(陸奥の重要な関所で、歌枕)の辺りに至る。
 白河の関を過ぎ、夕暮れ時、道がいくつにも分かれているところに出る。広い道を行こうとすると、数珠を持った老人(前シテ)に呼び止められる。「札を御所望ですか」と聞くと、「お札も賜りたいのですが、まずは遊行上人も通った昔の街道へご案内するために参りました」と答え、「昔この道は無く、あちらの森の手前の川岸が街道だったのです。「朽木の柳」という名木もあります。こんな尊い上人でしたら、草木までも成仏の機会を得られるでしょう」と、先に立って歩き出す。
 古道は荒れ果てて草が生い茂っている。霜露を分けて進むと、昔の名残を留めた古塚に、老木の柳が寂然として立つ場所に出る。道はやがて途絶え、通るのは風ばかりである。
 水の枯れた川岸に朽ち残った老木は、蔦葛や苔に覆われて、星霜を経た姿を見せている。僧の尋ねに応じ、老人は名木にまつわる言い伝えを語る。

 

【西行の詠歌】昔、鳥羽院を警護する北面の武士佐藤兵衛義清が、出家して西行という名高い歌人となり、この国に旅してきた。水無月(今の七月頃)半ばにこの川岸の木陰に立ち寄って涼み、一首の歌を詠じた。
道の辺に清水流るる柳陰しばしとてこそ立ち止まりつれ(道沿いの川辺の柳の木陰に、短い時間のつもりで立ち止まったのに、つい長居をしてしまった。新古今集)

「その歌が末の世まで伝わり、老い木も残っているのは懐かしいことです」
老人は僧を拝して念仏を賜る。立ち上り古塚に近寄ったかと思うと、姿を消す。
〔シテは作リ物に中入。白河の里人(間狂言)が朽木の柳の謂れを語り、供養を勧める〕


【後場:朽木の柳の傍】僧が月明かりの下念仏を唱えていると、柳の木から静かな声がして、阿弥陀仏の導きにより悟りを得たことを喜ぶ。やがて、烏帽子狩衣を着け白髪を乱した老翁が、忽然と姿を現す。〔※後見が作リ物の引廻しを下ろす〕
不思議がる僧に、老翁は先ほど道案内した者と名乗る。僧は、それが朽木の柳の精(後シテ)だったことを悟る。
「阿弥陀仏の教えが無ければ、心の無い草木は極楽往生できないでしょう」と、念仏を唱えることで最上の極楽に行けるという教えを喜ぶ。彼岸に導く仏の力を船に例えることから、船と柳に関わる故事を語り、柳にまつわる物語を、所作を交えながら連ねていく。


【船の発明~柏木の恋】黄帝(中国古代の帝)に仕えた貨狄は、秋風に散った柳の葉に蜘蛛が乗って水面を渡るのを見て、船を発明した。また玄宗皇帝も、離宮の柳を常に愛でた。京都の清水寺は、昔、五色に見えた滝波の上流をたどっていくと、金色に光る柳の朽木が見つかり、楊柳観音として顕現して以来、利生あらたかな霊地となっている。そのように貴い木なので、宮中の蹴鞠の庭の四方に植えられる木(桜・楓・松・柳)の一つになっている。


花盛りの夕暮れ時、蹴鞠の音が響く。華やかに着飾った人々が見物していると、飼い猫が駆け出して引き綱が簾を持ち上げ、柏木の女三の宮への恋路が始まった。
「彼らと違ってこちらは老体で、風に漂い足もともおぼつかないが、かまいはしない、老い木の柳が弱々しく舞うのも夢の中の出来事。現実と思うのは儚いこと」柳の精は、仏の教えに対する報謝の舞を舞う。〈序ノ舞〉


やがて夜明けが近づくと、「青柳に鶯伝ふ 羽風の舞」と詩句を詠じ、跪いて僧に感謝し、名残を惜しむ涙を流して暇を告げる。「別れの際には柳の枝を輪にして渡すものですが、それは青々としてたおやかな柳、私は老木で枝も少なく、風を厭うのも今年限りでしょうか」と、よろよろと座り込む。秋風が吹きつけて露も木の葉も散り散りになり、あとには朽木の柳だけが残される。
手折るは青柳の 姿もたをやかに 結ぶは老木の 枝も少なく 今年ばかりの風や厭はんと 漂う足許もよろよろ弱々と 倒れ伏し柳仮寝の床の 草の枕の一夜の契りも 他生の縁有る上人の御法 西吹く秋の風打ち払ひ 露も木の葉も散り散りに 露も木の葉も散り散りに成り果てて 残る朽木と 成りにけり