トップページ資料室鑑賞の手引き > 楊貴妃

鑑賞の手引き 楊貴妃 (ようきひ)

金春禅竹 作  季:不定  所:蓬莱宮

※玄宗(685~762 在位712~756)は、在位の前半「開元の治」と呼ばれる善政を敷きましたが、晩年楊貴妃を寵愛して政治を乱しました。楊貴妃(楊太真719~756 745貴妃となる)は豊満な美女で歌舞を得意とし、政治には干渉しませんでしたが、一族が高官について権力を握り、安録山の乱を招きました。乱から逃れる途中、馬嵬で殺され、玄宗も脱出中に退位しました。その悲恋を描いた白楽天の詩『長恨歌』がこの能の素材で、詩句を多く引用しています。
※舞台後方に、宮殿を表す作リ物が出される。

唐の玄宗皇帝に仕える方士(ワキ。神仙を祀りその術を行う人)が事情を語る。


玄宗は善政を敷いたが色好みでもあった。楊家から絶世の美女を得て、貴妃に定めたが、ある事により馬嵬が原で亡くなった。皇帝は深く嘆き、方士に「せめて魂魄のありかを尋ねて参れ」と命じた。天地隈なく探しても見つからないので、蓬莱宮(東方にある不老不死の仙人の住むという島。蓬莱山)まで探しに行く。


船を進めるうちに島山が見え、常世の国、蓬莱宮に至る。所の者(間狂言)から、太真殿という所に楊貴妃らしい人がいると聞いて訪ねていく。宝石をちりばめた壮麗な宮殿が果てしなく続き、皇帝の宮殿も比較にならないほど美しい。


楊貴妃(衣恵_2012.04_1)太真殿の前で様子をうかがっていると、中からひっそりとした声が聞こえる。「なんと物寂しい宮中でしょう。昔は驪山の離宮の春の園で共に花を眺めたのに、今は蓬莱の秋の洞で独り月を眺めて袂を濡らしています。ああ、恋しい昔よ」
方士が玄宗の使いと名乗ると、刺繍や宝玉で飾られた帳の奥から、楊貴妃(シテ)が姿を現す。雲のように豊かな髪、花のように美しい顔で、寂しげな瞳に涙を浮かべた風情は、「梨花一枝春雨を帯ぶ」と詩に詠われたとおりで、数多の後宮の美女達がまったく敵わなかったのも道理である。


楊貴妃(衣恵_2012_04_2)方士は、皇帝の深い嘆きを伝える。楊貴妃は、「死後も魂を尋ねてくださったのはお情け深いようですが、途切れ途切れのお便りではかえって辛いのです」と、あらためて恋慕の涙を流し、懐旧の思いに沈む。
方士は、楊貴妃に会った証拠に形見の品を乞う。宝玉の釵(かんざし)を渡すと、「これは他にもある物。皇帝と人知れず交わされた言葉がございますか」と聞く。
楊貴妃は、かつて七月七日の夜、牽牛・織女の二星に誓った言葉を教える。
天に在らば願はくは比翼の鳥とならん 地に在らば願はくは連枝の枝とならん(比翼の鳥(翼と目を片方ずつ持ち、二羽一体となって飛ぶ伝説上の鳥)や、枝がくっついた二本の木のように、いつまでも共にいよう)と誓ったことを、密かに伝えなさい。秘密の言葉でしたが、初めて人に洩らしました」と涙をこぼし、「輪廻し生死を繰り返す世の習いで、私の体と魂が離れて二人が別れ別れになっても、同じ心でいれば最後にはお会いできると信じています」と伝言を頼む。


帰ろうとする方士を引きとめ、かつての驪山宮での夜宴を思い起こし、当時と同じ釵を着けて、霓裳羽衣の曲(玄宗の作とされ、月世界から伝えたともいう曲)を舞うことにする。方士から釵を受け取って髪に着けると、募る思いを語る。
楊貴妃(衣恵_2012.04_3)「何事も夢幻で、この舞も蝶の戯れのように儚いもの。過去未来の生死流転を思えばその始まりも果ても無く、様々な世界がある中で、どこにも死を免れる者はいません。とりわけ、寿命の定まらないこの世は嘆きの深い場所。
私も昔は天上界の仙女でしたが、昔の因縁により仮に人間界に生まれ、楊家の深窓で養われ、帝に召されて後宮に入り、ずっと共にいようと語り合いました。それも縁が尽きて無駄となり、またこの島に独りで帰ってきました。儚い身の上ですが、たまたまあなたに遭えたので、静かに憂い昔を語りましょう。
それにしても、思い出せば恨めしいこと。あの七月七日の夜交わした睦言も、今は空しくなりました。一夜だけの契りでも名残は想うもので、年月を経た仲ではなおさら。死別というものさえ無ければ、千代も連れ添っていたのに。でも、会えば必ず別れが来るのは世の定めだそうですから、出会いと別れは同じことなのですね」
そして、ゆったりと心をこめて舞を舞う。〈序の舞〉


舞い終わって、再び釵を方士に授け、去っていくのを見送ると、宮殿に戻る。
玄宗に二度と会えないことを悲しみ、昔を恋い、儚い別れを思って、涙に沈んで不死の国に留まるのだった。
さるにてもさるにても 君には此の世逢ひ見ん事も 蓬が島つ鳥 浮世なれども恋しや昔 儚や別れの常世の台に 伏し沈みてぞ 留まりける