弱法師(よろぼし)
観世元雅 作 季:春 所:摂津国(大阪)天王寺
※ 四天王寺は聖徳太子創建の古寺で、悲田院があり、貧者や病人、孤児も集まってきました。また、難波の海は西方極楽浄土に続き、天王寺の西門は極楽の東門と向かい合っていると信じられ、彼岸の中日に西門で日没を拝む風習がありました。
【天王寺での施行】河内国(大阪)高安の里の住人、左衛門の尉通俊(ワキ)は、昨年の暮れ、人の讒言を信じて我が子を追い出してしまった。あまりに不憫なので、その子のため、天王寺で七日間の施行(功徳のために僧や貧民へ施しをすること)をしている。今日が満願で、従者(間狂言)が、施行をすると触れ回る。
【盲目の少年】盲目の乞食の少年(シテ)が、杖をついて近づいてくる。
「月の出入りを見ないので、昼夜の境も知ることができない。難波の海のように底知れず深い思いを、人は知らないだろう。鳥や魚でさえ別れを思って悲しむ。まして、心有りげな顔をした人間という身に生まれ、辛い年月が流れたが、仕方ないと思い切ることもできない。あさましい、前世で誰を嫌った報いなのか、讒言によって勘当され、悲しみの涙で眼が曇って盲目になり果て、生きながら死後の世界の闇に迷っている。
もともと心の闇というのはあるのだ。伝説では、一行(唐の高僧。讒言により果羅国に流された)の果羅への旅でも、闇穴道(重罪人が通る日月の差さない道)で、天が憐れみ、日月や星々で行き先を照らしたそうだ。今の世は末世というものの、ここは仏法の始まりの寺。天王寺の石の鳥居とはここか。立ち寄って参拝しよう」
少年は、杖で探って鳥居を確かめる。
もともと心の闇というのはあるのだ。伝説では、一行(唐の高僧。讒言により果羅国に流された)の果羅への旅でも、闇穴道(重罪人が通る日月の差さない道)で、天が憐れみ、日月や星々で行き先を照らしたそうだ。今の世は末世というものの、ここは仏法の始まりの寺。天王寺の石の鳥居とはここか。立ち寄って参拝しよう」
少年は、杖で探って鳥居を確かめる。
【施行を受ける】今日は春の彼岸の中日で、集まった多くの人々が、施行を受けようと群がる。通俊が少年に目を留め「話に聞く弱法師だな」と声を掛けると「私のことを、皆が弱法師と呼ぶのです。たしかにこの身は盲目の足弱車で、片輪ながらよろめき歩くので、弱法師と名付けられたのはもっともです」と答える。
通俊は、趣のある物言いに感心し、施しを渡す。弱法師は袖を広げて受け取り「花の香りがします」と言う。「垣根の梅花が袖に散り掛かったのだ」と教わって「情けない、難波津の春なら、ただ木の花と言えばいいのに。今は春も半ばです。(難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花『古今集』)梅花を折って頭に挿さなくても、二月の雪(梅の花びら)は衣に落ちます。ああ、良い匂いだ」「まことに、袖に受ければ、花もそのまま施行になる」「その通り。草木国土、全てが仏性を持つのも仏の恵みです。悉皆成仏の大慈悲に洩れますまい」と施行に加わり、手を合わせ、袖を広げ、花をさえ施行として受け取る。
「あらゆる事は仏法に当てはまり、遊び戯れ舞い謡う我々さえ、仏の慈悲の網には洩れないでしょう。煩悩に迷う盲目の私でも見る心地のする、梅の咲く春の長閑さは、仏法に洩れるはずがありません」弱法師は天王寺について語る。
通俊は、趣のある物言いに感心し、施しを渡す。弱法師は袖を広げて受け取り「花の香りがします」と言う。「垣根の梅花が袖に散り掛かったのだ」と教わって「情けない、難波津の春なら、ただ木の花と言えばいいのに。今は春も半ばです。(難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花『古今集』)梅花を折って頭に挿さなくても、二月の雪(梅の花びら)は衣に落ちます。ああ、良い匂いだ」「まことに、袖に受ければ、花もそのまま施行になる」「その通り。草木国土、全てが仏性を持つのも仏の恵みです。悉皆成仏の大慈悲に洩れますまい」と施行に加わり、手を合わせ、袖を広げ、花をさえ施行として受け取る。
「あらゆる事は仏法に当てはまり、遊び戯れ舞い謡う我々さえ、仏の慈悲の網には洩れないでしょう。煩悩に迷う盲目の私でも見る心地のする、梅の咲く春の長閑さは、仏法に洩れるはずがありません」弱法師は天王寺について語る。
【天王寺の縁起】釈迦は入滅し、弥勒菩薩が出現するのは遥か未来のこと。この合間の時代、どうすれば心を安らかにできるだろう。そこで聖徳太子は、国政を改めて万民を教化し、仏法を広めた。僧尼の制度を設け、四天王寺を建立した。
金堂の御本尊は如意輪観音で、救世観音とも呼ばれる。太子の前世が中国の高僧慧思禅師であるのと同様、観音も仏像となって、最初の御本尊として日本に現れた。末世に応じて衆生を救おうという誓いなのだ。ゆえに当寺の仏閣は赤栴檀の霊木で立てられ、宝塔の露盤も最上の黄金で作られているそうだ。境内の亀井の水も、天竺の無熱池の水を受け継ぎ、濁りの多い人間を導いて救いの舟を寄せる。難波の寺の鐘の声は浦々に響き、衆生済度の誓いが潮のように満ちて、海山を照らしわたるのも、皆成仏の姿なのだ。
金堂の御本尊は如意輪観音で、救世観音とも呼ばれる。太子の前世が中国の高僧慧思禅師であるのと同様、観音も仏像となって、最初の御本尊として日本に現れた。末世に応じて衆生を救おうという誓いなのだ。ゆえに当寺の仏閣は赤栴檀の霊木で立てられ、宝塔の露盤も最上の黄金で作られているそうだ。境内の亀井の水も、天竺の無熱池の水を受け継ぎ、濁りの多い人間を導いて救いの舟を寄せる。難波の寺の鐘の声は浦々に響き、衆生済度の誓いが潮のように満ちて、海山を照らしわたるのも、皆成仏の姿なのだ。
【日想観】通俊は、弱法師こそ息子だと気づく。人目があるので夜になって名乗り出ることにし、弱法師に日相観(日没を見て極楽浄土を念じること)を勧める。
盲目なので、日が沈むと思う方を向き「東門を拝み南無阿弥陀仏」と合掌する。通俊が「ここは西門の石の鳥居だ」と指摘すると「天王寺の西門を出れば、極楽の東門に向かうのです」と答える。西門を出れば石の鳥居があり、その先で極楽の東門に入る。弥陀の国に続く難波の海に沈む日輪も、きらめいている。〈イロエ〉
盲目なので、日が沈むと思う方を向き「東門を拝み南無阿弥陀仏」と合掌する。通俊が「ここは西門の石の鳥居だ」と指摘すると「天王寺の西門を出れば、極楽の東門に向かうのです」と答える。西門を出れば石の鳥居があり、その先で極楽の東門に入る。弥陀の国に続く難波の海に沈む日輪も、きらめいている。〈イロエ〉
【心の内の光景】弱法師は、盲目になる前に見慣れた光景を思い起こす。難波江を月が照らし、松風の吹く清らかな宵で、何の思い煩うこともない。
住吉の松の木間より眺むれば月落ちかかる淡路島山(源頼政)の歌で詠まれたのは月影だが、今は入日が沈むところだろうか。日想観なので曇りなく、淡路島絵島、須磨明石、紀の海まで見える。全ての光景が、心の内にある。
次第に心が高ぶり、本当に見ている気になって歩き回る。「おお、見えるぞ見えるぞ。南は夕波の住吉の松原、東はちょうど春の緑の草香山、北には長柄の橋」
住吉の松の木間より眺むれば月落ちかかる淡路島山(源頼政)の歌で詠まれたのは月影だが、今は入日が沈むところだろうか。日想観なので曇りなく、淡路島絵島、須磨明石、紀の海まで見える。全ての光景が、心の内にある。
次第に心が高ぶり、本当に見ている気になって歩き回る。「おお、見えるぞ見えるぞ。南は夕波の住吉の松原、東はちょうど春の緑の草香山、北には長柄の橋」
【現実に戻る】あちこち歩いていると、悲しいことに盲目なので、色々な人にぶつかって転び、よろよろする。「『本当に弱法師だ』と周りが笑っている。恥ずかしいことだ。もう決して狂うまい」弱法師は杖を捨てて座りこむ。
紀の海までも 見えたり見えたり 満目青山は 心に在り おお見るぞとよ見るぞとよ〈略〉かなた こなたと歩く程に 盲目の悲しさは 貴賤の人に行き合ひの 転び漂ひ難波江に 足許はよろよろと げにも真の 弱法師とて 人は笑ひ給ふぞや 思へば恥づかしやな 今は狂ひ候はじ 今よりは更に狂はじ
紀の海までも 見えたり見えたり 満目青山は 心に在り おお見るぞとよ見るぞとよ〈略〉かなた こなたと歩く程に 盲目の悲しさは 貴賤の人に行き合ひの 転び漂ひ難波江に 足許はよろよろと げにも真の 弱法師とて 人は笑ひ給ふぞや 思へば恥づかしやな 今は狂ひ候はじ 今よりは更に狂はじ
【父との再会】夜が更けて人気も無くなったので、通俊は弱法師に素性を尋ねる。なぜ聞くのかいぶかりながら「高安の里の俊徳丸のなれの果て」と答えると、喜んで父だと明かす。俊徳丸は動揺して「親とはいえ恥ずかしい」と、あらぬ方に逃げ出す。父は追いかけて手を取り「気にしなくてよい。鐘の声もまだ夜を告げている。夜が明ける前に行こう」と誘い、故郷に連れ帰るのだった。
(画像は、2021/04/17 大島能楽堂定期公演より)