作者:世阿弥(一説) 季:秋 所:信濃国(長野県)園原
都の僧(ワキ)が、稚児(子方)の「故郷の父に会いたい」という願いを叶えるため、信濃の国園原山に従僧(ワキツレ)を従え旅してくる。
名所らしく趣き深い秋の野山には、木賊を担いだ大勢の里人(シテ・シテツレ)がいて、露に袖を濡らすのもいとわず木賊を刈っている。
木賊刈る園原山の木の間より磨かれ出づる秋の夜の月
「まことに、胸の内の月を曇らさず、何よりも磨くべきは真如の玉。我が心を磨くためにも木賊を刈ろう」と、一人の老人(シテ)が進み出て木賊を刈る。由緒有りげな様子を見て声を掛けると「ここの木賊は歌人も詠んだ名草なので、みやげにするのです」と答える。感心して
園原や伏屋に生ふる帚木のありとは見えて逢はぬ君かな
という和歌の意味を尋ねると、老人は帚木の伝説を教え、僧を案内し、遠くからは見えていた木が近寄ると本当に姿を消すのを見せる。感嘆する僧に「旦過(旅僧のための宿)を建てているので、一晩お泊りください」と申し出て、宿に伴い「私には子が一人いたのですが、旅の僧に連れて行かれ失いました。それでこの旦過を建てたのです」と打ち明けてその場を離れる。
その間に、里人が僧に「あの老人は、物思いがあるために時々正気を失うことがあります」と忠告する。すると稚児が「あの人は私の父です」と言うので、僧はすぐ引き合わせようとするが、稚児が止める。
やがて、老人が息子の舞装束を身に着けて現れ、僧に酒を勧める。断ると「唐土の恵遠禅師が、陶淵明たちを招いて飲酒戒を破った故事もあります。それに、我が子が好んだ舞曲の酒宴を催して、老いの心を慰めたいのです」と酌をする。
老人は我が子への思いを綿々と語り「愚かな老父でも、孝恩の心は無いのか」と泣き「親はどんなに離れても子を忘れないのに、子は親を思わないのか」と、いなくなったのを恨む。子の面影が忘れられず「我が子はこうして舞ったものを」と、息子の舞姿を回想し、舞い始める。その姿は狂気に酔いが加わったとも、本当に子を思って泣いているとも見える。
やがて老人は酔って伏し「今一度父に姿を見せよ」と嘆きに沈む。それを見た稚児が「私こそあなたの子、松若です」と名乗り出ると、互いに、姿は変ったものの親と子だと確認する。父はすぐに名乗らなかったことを恨みつつ、夢のような再会を喜ぶ。
その後、親子は家を仏法流布のための寺に変え、その物語はこの地で語り伝えられたのだった。
【解説】木賊はシダの一種で、茎を乾燥させて物を磨くのに使います。信濃は古くから産地として知られていました。
帚木は信濃国園原にあったという伝説の木で、遠くからは箒のような梢が見えるのに、近づくと見えなくなると言われます。情がありそうなのに近づくとつれない、恋の相手の象徴として使われますが、この曲では、恋い求める相手はいなくなった子供です。
物狂いとなった老父が我が子を思い、その装束を着けて舞うという特異な内容のため、演じるのは非常に難しく、経験を積んだ者にしか上演の許されない秘曲とされます。 〈上演時間 二時間〉