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須磨源氏(すまげんじ)

作者不明  季:春  所:摂津国(兵庫)須磨浦

※ 『源氏物語』須磨の巻などを基にした曲です。若木の桜は、光源氏が須磨の自邸に植えた桜で、後世に須磨寺の門前の桜がそれだとされました。

【須磨の浦辺】
シテ 大島輝久
 日向国宮崎の神主藤原興範一行(ワキ・ワキツレ)が、伊勢神宮への旅の途中、摂津の須磨の浦に立ち寄る。須磨は光源氏が住んだ跡なので、名高い若木の桜を見ようと思っていると、柴を背負った樵の老人(前シテ)が来る。
 老人は、山陰に咲く一本の桜を見て「名高い若木の桜だろう。古の光源氏の旧跡もここのようだ。物語にある雨夜の品定めの話(帚木の巻)を聞くと涙が出る。薪は重いが、樒も折り添えて、源氏の墓に折々に手向けているのだ」と言う。
 老人は座って桜を眺める。興範は「賤しい樵の身で、花を眺めて家に帰るのも忘れた様子。由緒ある木なのか」と尋ねる。老人は「あなたの方こそ田舎者とお見受けします。須磨の若木の桜を『名木か』とは、聞くまでもない」と答える。
 日が暮れてきて、老人は「里にも泊らず野を分けて来るとは、須磨の関所でなく花に留められたのですか。後ろの山の柴も名物なのですから、趣の無い住いだと、人を賤しめないでください」と言い、問われて光源氏について語る。
【光源氏の生涯】 忘れて過ごしていた昔の事を語ると、涙で袂が濡れる。空蝉(蝉の抜け殻)のように儚い世を思うと、母の桐壺の更衣を火葬した夕べの煙が、悲しみの涙を添える。虫の鳴きしきる、草に埋もれた寂しい祖母の家にいたが、父帝が愛情深く養育し、勅により十二歳で初冠(成人の儀式)をし、高麗国(朝鮮半島)から来た人相見の言葉から、光源氏と呼ばれた。帚木の巻で中将、紅葉の賀の巻で正三位に叙せられ、花の宴の巻で、春の夜に朧月夜と契ったために二十五歳で須磨に配流され、翌年の春、播磨(兵庫)の明石の浦に移った。そのうち不思議なお告げがあって都に召し返され、権大納言を経て、澪標の巻で内大臣、少女の巻で太政大臣、藤裏葉の巻で太上天皇となり、栄花を極めて光君と呼ばれた。
我空蝉の空しき世を案ずるに 桐壺の夕の煙堪へぬ思ひの涙を添へ いとどしく虫の音しげき浅茅生の 露けき宿に明け暮し 小萩が下のさみしさまで はごくみ給ひし御恵み いとも畏き勅により 十二にて初冠 高麗国の相人の つけたりし始めより 光源氏と名を呼ばる〈略〉かく楽しみを極めて光君とは申すなり
【老人の正体】 興範は、源氏の旧跡の詳しい場所を尋ねる。老人は「この辺りは皆その跡ですから、月の夜をお待ちなさい。霊験があることでしょう。光源氏の住いは、昔は須磨、今は都率天(須弥山の頂上にある、弥勒菩薩の住む世界)なので、月影に天下り、この海に来現するでしょう。かく言う私も、源氏の巻の名を持つのです」と告げて、雲隠れして消え失せる。

〔間狂言‥里人が光源氏について語り、ここで奇特を待つよう勧める〕

【光源氏の来現】
シテ 大島輝久
 興範が月夜の浜辺で旅寝して待つと、波の音に合わせて音楽が聞こえ、光源氏の霊(後シテ)が来現する。海原の景色を愛で、月に詠じて、青海波の舞楽を舞うと、それに引かれて波も打ち返し、波の花も白衣の袖も翻る。笛の音が澄み渡り、笙・笛・琴・箜篌(竪琴)の調べが雲上に響き、天上界そのもののようで、荒海の波風が打ち寄せる中、源氏が舞う。〈早舞〉
「夢とも現実ともつかず、天からの光の中にあらたかに現れたのは、光源氏の尊霊ですか」興範が尋ねると、霊は「その名も世に知られている。ここは私の住処だったので、衆生を助けようと、都率天から再び天下ったのだ」と答える。
 風が吹き落ち、薄雲が掛かる春の空から、梵天や帝釈天が人間界に降りてきたようで、かつて須磨で着た青灰色の狩衣をたおやかに着て、袂を颯爽と翻して舞う。やがて宿駅を通る駅鈴の音が聞こえ、夜は山の方から明けていくのだった。

(画像は、2024/11/17 大島能楽堂定期公演より)