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草紙洗小町(そうしあらいこまち)

作者不明  季:卯月(5月上旬から中旬)  所:京都

※「古今集」仮名序で、小町は「あはれなるやうにて強からず」黒主は「その様いやし」と並んで評されています。躬恒・貫之・忠岑の三人は「古今集」の撰者です。

※ 歌合せの際、絵像を飾り人麻呂の歌を詠じる等は、中世の風習に基づきます。

【歌合せの前日、小町の私宅】大伴黒主(ワキ)が計略を語る。「内裏で催す歌合せで、小野小町と競うようお定めがあった。小町は歌の名手なので、とてもかなわない。家に忍び入り、明日の歌を聞こう」黒主は小町の家に忍び、聞き耳を立てる。
 小町(シテ)は、歌を世に広めたという聖徳太子に思いを馳せた後、歌を詠む。
「『水辺の草』という題を賜りました。面白いこと。
蒔かなくに何を種とて浮草の波のうねうね生ひ茂るらん(種を蒔いたわけでもないのに、どうして水草は、畝に生えたように波にうねって生い茂るのでしょう) この歌を短冊に書きましょう」と言って、小町は家の奥に入る。〈中入〉
 歌を盗み聞いた黒主が、従者(間狂言)に「今の歌を何と聞いたか」と尋ねると、「蒔かなくに何を種とて瓜蔓の畑の畝を転び歩くらん」と、おかしな歌を詠う。
黒主は「道を知らぬ振舞いだが、今の歌を万葉集の草紙に写し、帝に古歌だと訴えて、歌合せに勝ちたい」と企みを語り、小町の家を去る。〈ワキ中入・間狂言〉
【清涼殿の歌合せ】(子方)をはじめ、大勢の人々(シテツレ)が歌合せに集う。卯月半ばの清涼殿(帝が日常生活をする場)での会は、とりわけ華やいだ様子である。〈※後見が、文台を正面前方に出す〉柿本人麻呂と山部赤人の絵像を掛け、各々が、自作の短冊を文台に置く。小町、凡河内躬恒、紀貫之、壬生忠岑などの歌人が、左右の組に分かれて着座し、初めに、貫之が人麻呂の名歌を詠み上げる。
ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ(「古今集」)
 まず小町の歌が披露されると、帝は感嘆し、皆で詠じるよう勧めるが、黒主が「お待ちください。これは古歌です」と割って入り、小町が反論する。
【小町と黒主の論争】「神代の昔は知りませんが、衣通姫(「古事記」等の伝説上の美女)が歌道の廃れるのを嘆いて紀州和歌の浦に出現し、玉津島明神として祀られて以来、この道は皆たしなんでいます。古歌とは、どの歌集の、誰の作ですか」
「仰せの通り、証拠も無く言えることではありません。草紙は万葉集、題は夏、『水辺の草』と書いてありますが、作者は分かりません」「万葉集は奈良の帝の時代、撰者は橘諸兄、歌の数は四千三百余首に及びますが、私の知らぬ歌はありません。万葉集という本が幾つもあるのですか」
「あなたは衣通姫の系統ですが、哀れな歌風で強くないので、古歌を盗んでしまうのも道理です」
「ではあなたは猿丸太夫の系統、猿のように卑しい行動で、私を中傷しようというのですか。これは古歌ではありません」
「詞を吟味しないで誤るのは、『富士のなるさの大将』の例もあります。作歌の間違いは色々ありますが、全く同じ歌を詠んだとしたら、不思議なことです」
 帝が、証拠の歌を出すよう命じる。黒主が草紙を取り出し「これこそ今の歌」と差し上げると、他の歌人まで胸が潰れ、まして小町の胸中は轟くばかりである。目の前に草紙が置かれ、小町は絶望し、皆の注視を浴びて茫然とする。
【草紙を洗う】草紙を取って見ると、行間も乱れ、文字の墨付きも違っている。
「さては盗み聞きして書き入れたのですね。庭の流水で草紙を洗わせてください」と申し出るが、貫之は「もし違えば、恥の上塗りだ」と止める。小町が泣く泣く、衆目の中を去ろうとすると、貫之が呼び止め、帝から草紙を洗う許しを得る。
 金の水差しと銀の盥が用意され、小町は嬉し涙をこぼして襷を結び、洗うことにまつわる詩歌の詞や故事を連ねた謡に合わせ、草紙を濯ぐ。
和歌の浦曲の藻塩草波寄せかけて洗はん 天の川瀬に洗ひしは 秋の七日の衣なり 花色衣の袂には 梅の匂や交るらん〈略〉旧苔の髭を洗ひしは 河原に融くる薄氷 春の歌を洗ひては霞の袖を解かうよ 冬の歌を洗へばゝ 袂も寒き水鳥の 上毛の霜に洗はんゝ 恋の歌の文字なれば 忍び草の墨消え 涙は袖に降り暮れて 忍び草も乱るる 忘れ草も乱るる〈略〉時雨に濡れて洗ひしは 紅葉の錦なりけり 住吉のゝ 久しき松を洗ひては岸に寄する白波をさっと掛けて洗はん
 洗い終えると、書き入れた歌だけが残らず消えていた。小町は和歌の神々に感謝し、草紙を帝に差し上げる。
【和解の舞】黒主は恥辱のあまり自害しようとするが、小町が引き留める。
「私だけが名を残すのでは、和歌の友とは言えません。道をたしなむ志は、誰でもあなたのように強くあるべきなのです」帝も許し、黒主を座に留める。
 二人が和解すると、皆が小町に舞を奏するよう勧める。小町は晴れやかに舞い、平和でのどかな世を祝い、和歌の道の素晴らしさを讃える。