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鑑賞の手引き 三 笑 (さんしょう)

作者不詳(中国の古画「虎渓三笑図(こけいさんしょうのず)」に拠る)
季:冬(11月)  所:中国、盧山東林寺

※ まず、菊と松を付けた一畳台(山などの高所を表す)と、草庵を表す藁屋の作リ物が出される。

〔白蓮社の能力(間狂言)が出て、今日は高僧慧遠禅師のところに陶淵明と陸修静が訪ねてくるので、滝の辺を掃除してもてなす準備をしようと言って退場する。〕

慧遠禅師(シテ)が草庵の中に独座している。三十余年、虎渓を境界に定めて深山から出ず、18人の賢人たちを中心に白蓮社という結社を作り、俗世や栄華を忘れて仏道修行に専心していることを述べ、隠逸の暮らしを讃える。

そこへ、友人の陶淵明と陸修静(シテツレ)が訪ねてくる。二人は道すがら、枯野に紅葉が散り敷き、霜で紅く色変わりした白菊の咲く、初冬の景を愛でる。

 来訪を告げると、慧遠が庵から出てきて二人を経巻で差し招く。二人は拝礼して盧山に掛かる嶮しい石橋を渡り、皆で巖に腰掛け瀑布を眺める。世界の全てが眼中にあり、俗事をすっかり忘れてしまうかのような雄大な眺めである。

淵明は、慧遠に「『この盧山に来ない者は僧ではない』と言っているそうですね」と聞き、続いて「この滝を瀑布と呼ぶのにはどんな謂れがあるのですか」と尋ねる。慧遠は、「非常に高いところから流れ落ちる様子が、布を晒しているようだから瀑布というのです」と答え、三人で滝を詠った詩を吟じる。

【天台瀑布の詩】日香炉を照らして紫煙を生す 遠く看れば織るがごとくして天台に掛く 宝尺を凝らす事をやめよ量り、度りがたし ただこれ金刀の剪裁し易き事を恐る 噴いて林梢に向かって夏雪と成る 傾き来って石上に春雷を生す 知らんと欲すこれ銀河の水なる事を 人間に堕落して合して却って廻る
(日光が滝を照らして香炉から紫の煙が立ち上るように見える。遠くから見ると機で織られる布のような姿で高い山に掛かっている。大きさは立派な物差でも測ることはできないが、鋭い刃物でならすぐに裁断できそうにも思える。飛沫が林の中に飛んで夏の雪のように見え、水が落ちて石に当たる音が春の雷のように轟く。この滝水は天の川の水ではないだろうか。天上から下界に落ち、また天上に昇って循環している)
そして、風雅の友同士、ゆっくり昔語りをすることにし、酒宴を始める。

【陶淵明と陸修静の話】淵明は彭澤の地の長官に着任したが、八十日余りで官を辞して故郷に帰り、日夜酒を愛して松や菊を好み、垣根に菊を植えたり山を眺めたりして暮らした。これも二君に仕えない忠節の心ゆえだそうだ。
また修静は、宋の明帝の頃に神仙の法を学んだので陸道士という。その後この山の簡寂観という館に隠棲した。二人は天下に並び無き優れた人々なので、盧山の十八賢にも劣らない。
 三人は、菊に置いた露が集まって出来たという、不老不死の薬の泉に見立てて酒を酌み交わす。淵明と修静が興に乗って舞うと、続いて慧遠も加わる。松や菊を賞しつつ千鳥足で歩きまわるうち、苔むした石橋をよろめき渡り、二人に支えられて虎渓を遥かに出てしまう。淵明が「禁足をお破りになったのですか」というと、三人は手を打ってどっと笑った。こうして三笑の故事が出来たのである。