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西行桜(さいぎょうざくら)

世阿弥 昨  季:春  所:山城国(京都)西山

※ 西行(1118~1190俗名佐藤義清)は北面の武士として鳥羽院に仕え、23歳で出家。諸国を行脚し、花と月を愛し、自然・人間・宗教の融合した秀歌を多く残しました。

※ 始めに後見が、桜の老木を表す作リ物を舞台後方に出す。

【西行の庵】西行(ワキ)が能力(間狂言)に「今年は庵での花見を禁じると、人々に知らせなさい」と命じる。能力は「名木で、毎年大勢集まるのに」と不思議がる。
【花見の一行】待ちに待った花見の季節の長閑な日、上京辺の人々(ワキツレ)が、「西山の西行の庵室の桜を見に行こう」と連れ立ち、能力に取次ぎを頼む。
【庵での花見】西行(ワキ)は、独り花を眺めて心を澄ましている。 「春の花は梢に咲いて悟りを求める心を表し、秋の月は、仏が衆生を救うことを示して暗い水に宿る。流れる水には夏の暑さも無く、谷底の松風の音は秋の訪れを知らせる。この世の全ての事が、仏法に触れる契機となるのだ。とはいえ、四季の中でも優れているのは、花咲く春と実りの秋だろう。面白い景色だ」
能力が、花見の一行が来たことを知らせる。西行は「この花は隠れ所の山桜。花も一木、我も一人と思っているのに」と気が進まないが「こんな山陰まで来たのだから」と、柴垣の戸を開かせて人々を中に通す。
 落花を眺めて静かに無常を観じていたのに、大勢が来て、隠棲の地が在俗の昔に帰ったような有様である。西行は「世捨て人も花が咲けば隠れていられない。嵯峨の山奥でも浮世と同じだ。世を捨ててもこの世の外には行けないのだから、どこが終の住処になるのか」と思い「この山陰まで来られた志は実に風雅ですが、花だけを友とする世捨て人には、少々心外です」と言って、一首の歌を詠む。
花見にと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の科にはありける(花見に大勢の人が来ることだけが、惜しむべき桜の欠点なのだ。「山家集」)
 日が暮れて月が昇ると、皆「今宵は諸共に、花の下で眺め明かそう」と留まる。
〔ワキ以外の人々が退場し、後見が作リ物の引廻しを下ろしてシテが姿を現わす〕
西行桜1
シテ 大島政允
【夢中の翁】
洞の開いた老木の桜から、白髪の老人(シテ)が現れる。「人知れぬ埋もれ木にも、心の花は残っているのです」と言って「花見にと」の和歌を詠じる。
 不思議に思う西行に、老人は「夢の中の翁」と名乗り「先ほどの詠歌の意味を尋ねるために現れたのです。『桜の科』とは何でしょう」と聞く。西行は、老人が自分の夢の中に現れたのだと気づいて答える。「それはただ、浮世を厭って山に住んでいるのに、人々が集まるのが煩わしいという心を詠んだのです」
「浮世と見るか山と見るかは、人の心次第。無心の草木に罪はありません」
「まことに道理です。さてはあなたは花の精ですか」
「物言わぬ草木ですが、罪が無い訳をお話しするため現れました。お恥ずかしい、花も少なく枝も朽ちた、老木の花の精なのです。心無い草木でも、開花と実りの時は忘れません。草木国土、全てのものは、仏法に逢い成仏できるのです」
西行桜
シテ 大島政允
 二人は向き合って合掌する。老桜の精は、西行に逢って仏の恵みを受けることを喜び、様々な花の名所を思い浮かべて舞う。
朝に落花を踏んで相伴って出で 夕べには飛鳥に従って 一時に帰る 九重に咲けども花の八重桜 幾代の春を重ぬらん 然るに花の名高きは まづ初花を急ぐなる 近衛殿の糸桜 見渡せば柳桜をこきまぜて 都は春の錦燦爛たり〈略〉昔遍照僧正の 浮世を厭ひし花頂山 鷲の御山の花の色 枯れにし鶴の林まで思ひ知られて哀れなり 清水寺の地主の花 松吹く風の音羽山 ここはまた嵐山 戸無瀬に落つる 瀧つ波までも 花は大井川 井堰に雪やかかるらん
西行桜3
シテ 大島政允
 やがて、時報の鼓や鐘の響きが、夜明けが近いことを告げる。老桜の精は時の過ぎ去るのを惜しみ、静かに舞う。
「得難きは時、逢い難きは友。春宵一刻値千金、花に清香、月に影」〈序ノ舞〉
 春の夜は花の影から明け始め、夜明けの鐘も待たずに別れの時が来る。
「待て、夜はまだ深い。白むのは花の影で、他はまだ暗いのだ」
 しかし、山陰の夜桜の花を枕にした夢は覚めてしまう。夜嵐に散った花びらが雪のようで、共に惜しんだ春の夜は明け、老桜の精は跡形も無く消えたのだった。
春の夜の 花の影より 明け初めて 鐘をも待たぬ 別れこそあれ ゝ 待て暫し ゝ 夜はまだ深きぞ 白むは花の影なりけり よそはまだ小倉の 山陰に残る夜桜の 花の枕の 夢は覚めにけり ゝ 嵐も雪も散り敷くや 花を踏んでは同じく惜しむ少年の 春の夜は明けにけりや 翁さびて跡も無し ゝ

(画像は、2005/04/17 大島能楽堂定期公演より)