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野 宮(ののみや)

作者不明  季:晩秋  所:山城国(京都)野宮

※ 野宮とは、斎宮(伊勢神宮に仕える未婚の皇女。天皇の即位ごとに占いで選ぶ)になる皇女が、精進潔斎のため一年間籠る宮で、都の西、嵯峨野にありました。斎宮制度は、後醍醐天皇の建武の新政崩壊(1336)に伴い廃れました。『源氏物語』賢木の巻で、源氏との恋に破れた六条御息所は、斎宮となる娘とともに伊勢に去ります。

※ 舞台前方に、小柴垣を付けた鳥居の作リ物を出す。

【野宮の旧跡】 旅の僧(ワキ)が、秋の末の嵯峨野を訪ね、森に入る。そこは野宮の旧跡で、黒木の鳥居や小柴垣(皮を剥がない丸木で組んだ鳥居と、雑木の小枝を編んだ低い垣根)など、昔と変わらぬ有様である。僧は宮を拝んで心を澄ます。
シテ 大島衣恵
 夕暮れ時、榊の枝を持った美しい女(前シテ)がふと現れる。
「花に親しんだ野宮は、秋が終ればどうなるのだろう。物寂しい秋が暮れ、袖はますます涙の露に萎れて身を砕き、心の色は自然と花に現れて、我が身とともに衰えてゆく。人知れず毎年昔の跡に帰ると、木枯しが身に沁みる。思えば、なぜ昔を忍ぶのだろう。こんな仮の世に行き帰りするとは、恨めしいこと」
 僧が声を掛けると、女は「ここは昔、斎宮となる方がいらした所です。その習わしは絶えましたが、私は昔を思い、毎年人知れず宮所を清め、神事を為しています。素性の知れぬ方が来ては困りますので、早くお帰りください」と言う。
「私は出家なので大丈夫です。なぜこの日に昔を忍ぶのですか」と尋ねると、「光源氏がここを訪ねたのが長月七日で、今日に当たるのです。その時榊の枝を忌垣の内側に挿し置いたので、六条御息所が 神垣はしるしの杉も無きものをいかにまがへて折れる榊ぞ(三輪神社のような目印の杉も無いのに、何を間違えて会いに来たのですか)と詠んだのです」と教える。
「榊の色だけは変わりませんが、秋も暮れて紅葉は散り、野も末枯れて荒れた宮跡です。懐かしい時と場所に廻り来ました。儚い仮の住まいに、今も微かに光る火焚屋(篝火などを焚いて夜間警護者が詰める小屋)の明りは、私の思いが外に洩れ出たのでしょうか。なんと寂しい場所」女は、御息所について詳しく語る。
【御息所の悲愁】 六条御息所は、桐壺帝の弟の前東宮の妃として華やいでいたが、会者定離の習いを悟らせるかのように、程無く先立たれた。やがて源氏が、不適切にも密かに通うようになったが、どうしたことか絶え絶えの仲となった。それでも嫌いになり果てたのではなく、遠い野宮まで訪ねて来た。道すがら、花は皆衰え、虫の声も途切れがちで、松風の響きまで寂しく、秋の悲しみは果てしなかった。こうして源氏が来て色々と言葉を掛けたのは、情の深いことだった。
 その後桂川でお祓いをし、寄る辺無い心に流されて伊勢の鈴鹿川まで旅し、
鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず伊勢まで誰か思ひおこせむ(私が涙に濡れているかどうか、伊勢まで気に掛けてくれる人はいないでしょう)と源氏に歌を返した。前例も無いのに斎宮に母親が付いて行った、その時の心境が恨めしい。
 女は、自分は亡き御息所だと明かして、木の間を洩れる夕月の光に幽かに浮かぶ、黒木の鳥居の陰に姿を消す。〈中入〉

〔間狂言‥参拝に来た里人が、僧に源氏が野宮を訪ねた事を語り、供養を勧める〕

【車争い】 夜、車の音が近づく。網代車(軽装の牛車)に乗った御息所の霊(後シテ)が現れ、辛い記憶を辿る。源氏の加わる賀茂の祭の行列を忍んで見に行った際、源氏の正妻葵上の一行と、牛車を置く場所を巡って争いになった。相手の下人に車を壊されて奥に追いやられ、無力な身の上を思い知らされたのだった。
「思えば何事も前世の罪の報い。つらい輪廻を繰り返して、いつまで妄執に囚われるのでしょう」霊は僧に救いを乞う。
シテ 大島衣恵
【懐旧の舞】 御息所は、昔を思い、月明かりの下で舞う。〈序ノ舞〉 野宮の月も昔を偲ぶのか、寂しく森の下露を照らし、身の置き所もないような、昔のままの庭の佇まい。風変りな借り住まいの小柴垣の、露を払って訪われた自身も源氏も、夢のように儚い過去となった旧跡に、誰を待つのか松虫(一説に今の鈴虫)がりんりんと鳴き、風が吹き過ぎて行く。御息所は、涙を流して哀しみに沈む。〈破ノ舞〉
「ここはかたじけなくも伊勢の神を祀る所。鳥居を出入りして生死の道に迷う私を、神は受け入れないでしょう」と、また牛車に乗って消えた御息所は、迷いの多いこの世から出て、成仏できたのだろうか。
内外の鳥居に出で入る姿は生死の道を 神は受けずや思ふらんと また車に打ち乗りて火宅の門をや出でぬらん 火宅

(画像は、2024/09/15 大島能楽堂定期公演より)