作者不明 季:不定 所:京都
【前・稲荷明神の社】一条院の臣下橘道成(ワキツレ)が登場。帝が昨夜「三条の小鍛冶宗近に剣を打たせよ」との霊夢のお告げを受けたので、宗近にその旨を申し付けに向かうところだと述べる。
屋敷に着いて呼ばわると、宗近(ワキ)が出てくる。霊剣を打てとの宣旨を告げると、宗近は平伏して「それほど重要な仕事にふさわしい、自分に劣らぬ技量を持った相槌の者がいない」と困惑する。道成は「それも道理だが、帝の霊夢によることだから」と重ねて命じ立ち去る。
宗近は途方にくれるが、「政道の正しい御代なので、奇跡も起こるかもしれない」と思い直し、「このような一大事には、神力を頼むしかない」と、すぐに氏神の稲荷明神に祈願しに行く。
すると、道も無い方向から不思議な童子(前シテ)が現れ、声をかける。宣旨のことを口にしたので、なぜ知っているのか不審がると、「壁に耳あり岩の物言う世の中に、隠しおおせることなど無い。帝の恵みに依れば、心にかなう剣が打てる」と励まし、古来よりの剣の様々な威徳を、所作を交えて語り聞かせる。
語り終えると、童子は「これからそなたが打つ剣もそれに劣らないのだから、代々の刀工である宗近、安心して帰りなさい」と告げる。漢の高祖の三尺の剣は、居ながらにして四方の外敵を鎮め、隋の煬帝の剣は北周の光を奪って滅ぼしてしまった。その後、唐の玄宗皇帝に鐘馗大臣の霊魂が剣の威力をもって仕え、悪霊鬼神の害を防いだ。
このように、中国や本朝において剣の威徳は明らかである。
また、景行天皇の時代、日本武尊は東国の蝦夷を退治するよう勅命を受け、はるか東方に旅して、故郷に帰ることを願いつつ転戦した。人馬が身を砕き血が川となって流れる激戦の末、冬の初めに蝦夷がついに降参し、御狩場を贈った。尊がそこで冬枯れの遠山の初雪を眺めている隙に、蝦夷が四方を取り囲んで枯野に火をかけたので、剣を抜いて辺りの草をなぎ払うと、剣の精霊が嵐となって炎も草も吹き返し、猛火は天地に満ち、かえって敵を焼き滅ぼした。その後平和な世が来たのも、その「草薙の剣」のおかげだとか。
【後・宗近の屋敷】 ※後見が、鍛冶壇を表す一畳台を舞台前方に置く。
宗近は装束を改め、鍛冶の壇に注連縄をめぐらせ幣帛を捧げ、潔斎して待ち受ける。天を仰ぎ地に伏して、諸々の神々に力添えを願い、肝胆を砕いて祝詞をあげていると、「勅命の剣を打つときが来た」と、虚空から稲荷明神の使いの白狐(後シテ)が現れる。白狐は辺りを自在に駆け巡った後、壇に上がり、主槌役の宗近に、相槌を勤める弟子分として三度礼拝する。宗近は畏怖し喜んで、鉄を取り出し壇に上がり、槌を手に取る。
宗近がはったと打てば、神狐がちょうと打ち、交互に剣を打ち重ねる音が天地に響き渡り、ついに剣が完成する。主槌を打った宗近が刃の表に「小鍛冶宗近」と刻むと、神狐は弟子分なので裏に「小狐」とくっきりと銘を刻む。
打ち終えた刃には雲を乱したような紋が浮かび、天の叢雲の剣(草薙の剣の別名)に並ぶほどの出来ばえである。
神狐は、「天下一の二つ銘のこの剣で治めれば、国土が栄えるだろう」と、宗近の氏神の御神体でもある剣「小狐丸」を勅使に捧げると、別れを告げて群雲に飛び乗り、東山の方、稲荷の峰に帰っていく。