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鑑賞の手引き 清 経 (きょつね)

世阿弥 作   季:晩秋   所:京都。清経の妻の屋敷

※寿永二年(1183)七月、平家一門は源平の争乱で劣勢となり、都落ちして西国を転々とします。平清経は重盛の三男、「何事も深く思ひ入る人」で、同年十月、平家の敗北が決定的になる前に入水自殺します。(『平家物語』巻八)

 

平清経の家来粟津三郎(ワキ)が、豊前国柳ヶ浦(大分県)から、清経の遺髪を、都に残る妻に届けるため密かに帰ってくる。
屋敷に着き声をかけると、清経の妻(ツレ)が応じる。三郎の悲しむ様子を見て「もしや夫が出家したのですか。筑紫の戦でも無事と聞きましたが」と尋ね、入水したと聞き「せめて戦死か病死なら諦めきれるのに。『いつか廻り逢えるかも』という言葉も偽りだったのですね。今は恨む甲斐も無い」と嘆く。「もう人目を忍ぶ必要も無い」と声を上げて泣き、三郎が「船中に遺髪を残しておられました」と差し出すと、受け取ってじっと見つめ、和歌を詠む。
見るたびに心尽くしの髪なれば憂さにぞ返す本の社へ(見るたびに物思いの尽きない髪だから、辛いのでもとのところへお返しします。筑紫の宇佐の神の社へ)
遺髪を返し、床に伏して夜通し涙を流し「せめて夢に現れてください」と願う。

すると、清経の亡霊(シテ)が姿を現す。「迷いや妄執を捨てれば苦しみなど無い。辛いと思うこの世も夢幻。それなのに故郷に戻ってきた、我が心の儚さよ。
うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼み初めてき(うたた寝で恋しい人を夢見てから、夢というものを頼りにするようになった。『古今集』小野小町)
懐かしい人、なぜ眠っているのですか。清経がここまで来ましたよ」
妻は驚き、夢だろうと思いつつ喜ぶ。しかし「天寿を待たずに自分から身を捨てたのは、約束と違います」と恨み言をいう。清経も「あなたこそ、なぜ形見を返したのですか」と返す。「思い余って言ってしまったのです」と、先程の和歌を詠うと、夫が下の句を詠い「愛情が失せたのでなければ、留めておくべきです」と言う。妻も「浅はかなお考えです。慰めにとの形見ですが、見れば思いが乱れます」と反論し、互いに恨み言をいい合う。二人は、せっかく逢えた夜なのに、すねて恨み合っているので独り寝の時のように離れ離れなのが悲しく「形見など無ければ忘れることもあるだろうに」と嘆く。
形見ぞつらき 黒髪の 怨みをさへに云ひ添へて くねる涙の手枕を 並べて二人が逢ふ夜なれど 怨むれば独り寝の 臥し臥しなるぞ悲しき
清経は、妻の思いを晴らすため、自殺に至った経緯を物語る。

【八幡の神託と清経の入水】平家一門は九州山鹿の城(福岡県)にいたが、敵が攻めてくると聞き、急いで小舟に乗り柳というところに逃げた。そこを仮の皇居とし、宇佐八幡(豊前国にある八幡の本社)に参詣して捧げ物をすると、神詠が聞こえた。
世の中の憂さには神も無きものを何祈るらん心尽くしに(世の憂さは宇佐の神にも救えないのに、何をそんなに懸命に祈るのか。はるばる筑紫まで来て)
これを聞いて、知盛は「さりともと思ふ心も虫の音も弱り果てぬる秋の暮れかな(それでもと希望を持っていた心も虫の声も、弱り果ててしまった秋の暮れだ。『千載集』藤原俊成)」と嘆いた。「それでは神仏にも見捨てられたのだ」と、一門が力を落としてすごすごと帰る有様は、哀れなものだった。
やがて「長門国(山口県)へも敵が向かっている」と聞き、また当ても無く船出した。昔は花と栄えていたのに、今は紅葉のように散り散りに水に浮き、秋風や波に追い立てられるようで、白鷺の群れを見れば源氏の白旗かと怯える。
この有様に、清経は心の奥で「八幡の託宣は心に刻まれている。空しいことだ、どうせ露のように消える身なのに、いつまで浮草のように漂い憂き目を見るのか」と思い切り、人知れず機会を待ち、夜明け前、月に向かって詠う様子で舟の舳板に立ち、腰に着けた横笛を抜き、澄んだ音色で吹くと、今様を謡い朗詠し、過去未来を考えて「いつかは儚くなるものを。帰らぬは昔、止まらぬは物思い。この生自体、旅のように定めないもの。思い残すことは無い。人はただ狂乱したと思うだろうが、仮の世のこと、かまいはしない」と、西に傾く月を見て「私も西方浄土に連れて行け。阿弥陀仏よ、どうぞお迎えください」と、一声念仏を唱えたのを最期に、舟からぱっと飛び降り、水底へ沈んでいったのだった。
帰らぬは古 止らぬは心づくしよ この世とても旅ぞかし あら思ひ残さずやと
〈略〉南無阿弥陀仏弥陀仏 迎へさせ給へと ただ一声を最期にて 船よりかつぱと落ち汐の 底の水屑と沈み行く 憂き身の果てぞ悲しき
話を聞き終え、妻は「心が乱れて思いに沈むばかり。恨めしい仲です」と泣く。夫は「言うな、地獄もこの世も、儚く哀れなことは皆同じだ」と言い聞かせ、死後に堕ちた修羅道での戦いの有様を見せる。
しかし、最期まで仏を信じ念仏を唱えた清らかな心により、成仏を遂げる。