杜 若(かきつばた)
作者不明 季:夏 所:三河国(愛知)八橋
※ 『伊勢物語』古注では、三河・八橋は在原業平(825~880)の恋した女性の数の寓意、杜若は二条の后(842~910藤原高子。866清和天皇女御)の形見と解釈しています。また業平は歌舞の菩薩の化身で、契った女性全てを救ったともいわれました。そのような説が背景にある能です。
高子は業平の恋人でしたが、兄たちに仲を裂かれ入内しました。その後、業平は都に居づらくなり、住み所を求めて東国に旅に出ました。(『伊勢物語』三~十一段)
【杜若の咲く沢】 都から東国修行に出た旅の僧(ワキ)が、三河国八橋の沢に至る。杜若に見とれていると、女(シテ)が現れ「ここは古歌にも詠まれた花の名所なので、特別なものと思って眺めてください」と、『伊勢物語』の一節を語る。
【伊勢物語九段】 業平は東国への旅の途中、三河国八橋に着いた。川の流れが蜘蛛の足のように枝分かれして、橋を八つ渡してあるから八橋といった。その沢に杜若がとても美しく咲いていたので、ある人が「『かきつばた』という五文字を句の上に置いて、旅の心境を詠んでください」と言うと、業平は
唐衣着つつ馴れにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ(着慣れた衣のように馴染んだ妻を都に残してきたので、遠くまで来たこの旅を思うことだ)と詠んだ。
僧が「こんな東の果てまで来たのか」と感嘆すると、女は「ここだけでなく陸奥の国々まで行き、心の深奥を見せましたが、とりわけここの杜若に深く心を寄せました。歌の主は昔の人になりましたが、形見の花は思いの色を残して今も咲き、浅からず契りを交わしたその人も、あれこれ物思いをするのです」と昔語りをして心も打ち解け、日が暮れたので、僧を自分の庵に招く。〈物着〉
唐衣着つつ馴れにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ(着慣れた衣のように馴染んだ妻を都に残してきたので、遠くまで来たこの旅を思うことだ)と詠んだ。
僧が「こんな東の果てまで来たのか」と感嘆すると、女は「ここだけでなく陸奥の国々まで行き、心の深奥を見せましたが、とりわけここの杜若に深く心を寄せました。歌の主は昔の人になりましたが、形見の花は思いの色を残して今も咲き、浅からず契りを交わしたその人も、あれこれ物思いをするのです」と昔語りをして心も打ち解け、日が暮れたので、僧を自分の庵に招く。〈物着〉
【杜若の精】 寝室から、女が透額の冠と唐衣を着けて現れる。「これこそ歌に詠まれた高子の后の御衣。冠は、業平が豊の明かりの節会で着けたもの。二人の形見を身に添えて持っています。私は杜若の精です。『植ゑ置きし昔の宿の杜若色ばかりこそ形見なりけれ(後撰集)』という歌も、女の杜若になったいわれを詠んだのです。また業平は歌舞の菩薩の化身で、歌は全て仏法を説く妙文なので、草木まで成仏の縁を求めます。業平の舞姿はすなわち菩薩の姿で、仮に人として生まれ、衆生に救いをもたらそうとしたのです」と明かす。「別れのつらさのこもった唐衣の袖を翻すように、都に帰りたい」と、業平として語り舞う。
【業平の物語】 そもそも『伊勢物語』は、誰が何をもとに作ったものか、密かな恋の通い路について始まりも終りもなく書いたものである。
昔男初冠して奈良の京 春日の里に知るよしして狩に往にけり(『伊勢物語』冒頭)
仁明天皇の御世、業平は春日の祭の勅使に命じられ透額の冠を許された。帝の深い恵みにより宮中で元服したのが稀有なことだったので、初冠という。
しかし世の中とは、一度は栄え、一度は衰えるもので、業平は東国に居所を求めて旅に出た。伊勢と尾張の間の海に立つ波を見て「いとどしく過ぎにし方の恋しきに羨ましくも返る波かな(過ぎ去った物事がひどく恋しいので、返る(帰る)波が羨ましい)」と詠じ、信濃では浅間山の夕景色を見て「信濃なる浅間の嶽に立つ煙遠近人の見やは咎めぬ(浅間山の噴煙を見て、不思議に思わぬ人はいまい)」と口ずさんだ。やがて有名な八橋に着き、杜若の花を見て、紫は縁ある人を偲ぶ色なので、都の妻を思いやったのだった。
この物語には数多の女性との恋が書かれているが、とりわけ「八橋」や「三河」の人々とは深く思いを交わし、名も身分も様々に「人待つ女」「物病みの女」「玉簾の女」などと、乱れ飛ぶ蛍のように恋をした。「ゆく蛍雲の上まで往ぬべくは秋風吹くと雁に告げこせ(※恋患いで死んだ女を思って詠んだ歌)」と詠んだ業平は、迷いの闇を照らして衆生を救うためにそのように生きたのだと、人は知っているだろうか。「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして(この月もこの春も、昔見たものとは違うのだろうか。私は昔と変らないのだが)」と詠んだ業平は仏の分身であり、男女の仲を司る神ともいわれたのである。
昔男初冠して奈良の京 春日の里に知るよしして狩に往にけり(『伊勢物語』冒頭)
仁明天皇の御世、業平は春日の祭の勅使に命じられ透額の冠を許された。帝の深い恵みにより宮中で元服したのが稀有なことだったので、初冠という。
しかし世の中とは、一度は栄え、一度は衰えるもので、業平は東国に居所を求めて旅に出た。伊勢と尾張の間の海に立つ波を見て「いとどしく過ぎにし方の恋しきに羨ましくも返る波かな(過ぎ去った物事がひどく恋しいので、返る(帰る)波が羨ましい)」と詠じ、信濃では浅間山の夕景色を見て「信濃なる浅間の嶽に立つ煙遠近人の見やは咎めぬ(浅間山の噴煙を見て、不思議に思わぬ人はいまい)」と口ずさんだ。やがて有名な八橋に着き、杜若の花を見て、紫は縁ある人を偲ぶ色なので、都の妻を思いやったのだった。
この物語には数多の女性との恋が書かれているが、とりわけ「八橋」や「三河」の人々とは深く思いを交わし、名も身分も様々に「人待つ女」「物病みの女」「玉簾の女」などと、乱れ飛ぶ蛍のように恋をした。「ゆく蛍雲の上まで往ぬべくは秋風吹くと雁に告げこせ(※恋患いで死んだ女を思って詠んだ歌)」と詠んだ業平は、迷いの闇を照らして衆生を救うためにそのように生きたのだと、人は知っているだろうか。「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして(この月もこの春も、昔見たものとは違うのだろうか。私は昔と変らないのだが)」と詠んだ業平は仏の分身であり、男女の仲を司る神ともいわれたのである。
【成仏の舞】 杜若の精は優艶に舞い始める。〈序ノ舞〉
杜若の美しさだけは昔のままで、昔男(業平)の面影の重なる姿は、恋人の女とも業平ともつかず、卯の花のような白い袖を翻して舞ううち夜も白み、東の空が薄紫に染まると、花の精も悟りの心を開いて帰っていったのだった。
昔男の名を留めし 花橘の 匂ひ移る菖蒲の鬘の 色はいづれ 似たりや似たり 杜若花菖蒲梢に鳴くは 蝉の唐衣の 袖白妙の卯の花の雪の 夜も白々と 明くる東雲の薄紫の 杜若の 花も悟りの心開けて すはや今こそ草木国土 すはや今こそ草木国土 悉皆成仏の 御法を得てこそ 帰りけれ
杜若の美しさだけは昔のままで、昔男(業平)の面影の重なる姿は、恋人の女とも業平ともつかず、卯の花のような白い袖を翻して舞ううち夜も白み、東の空が薄紫に染まると、花の精も悟りの心を開いて帰っていったのだった。
昔男の名を留めし 花橘の 匂ひ移る菖蒲の鬘の 色はいづれ 似たりや似たり 杜若花菖蒲梢に鳴くは 蝉の唐衣の 袖白妙の卯の花の雪の 夜も白々と 明くる東雲の薄紫の 杜若の 花も悟りの心開けて すはや今こそ草木国土 すはや今こそ草木国土 悉皆成仏の 御法を得てこそ 帰りけれ
(画像は、2024/06/16 大島能楽堂定期公演より)