世阿弥(?)作 時:源平の合戦の何年か後 所:日向国宮崎
※ 始めに、景清の草庵を表す藁屋の作リ物が出される。
源平の戦に破れ、流罪になった父景清を求めて、娘の人丸(シテツレ)が鎌倉から従者(ワキツレ)と共に、つらい長旅の末、日向国宮崎にたどり着く。そして、粗末な古びた家のそばを通りかかる。
景清は、その家の中で独り、今の悲惨な境涯を述懐している。その声を人丸が聞きつけ、乞食の住処かと思って見遣ると、中から「秋が来たのを眼には見えずとも風の音で知るように、人の気配を感じたがどこからか分らない」と言うのが聞こえ、人丸はその言葉に、父を探してさまよい、休む宿も無い我が身を重ねる。
【景清の述懐】
松門独り閉じて 年月を送り 自ら 清光を 見ざれば 時の移るをも 弁えず 暗々たる庵室にいたづらに眠り 衣寒暖に与へざれば 膚は 髐骨と衰えたり
従者が「流され人平家の侍悪七兵衛景清の行方を知っているか」と尋ねると、景清は「そんな人の事を聞きはしたが、盲目なので見たことはない。詳しい事はよそで聞いてください」と答える。人丸たちはさらに遠くに景清を探しに行く。
一人になると、景清は、突然娘が訪ねてきた驚愕を口にする。人丸は、景清が遊女との間に生し、女子なので役に立たないからと遊女宿の女主人に預けた子で、そんな馴染みの薄い父親を慕って来たのだった。景清は、娘の声は聞こえても盲目のため面影を見ることができないのを悲しむ。名乗らずやり過ごしたのも、落魄した姿を見せまいとする親の情愛ゆえだった。
一方人丸たちは、里人(ワキ)に景清の行方を尋ね、先程言葉を交わした乞食こそ本人だと知り、事情を話して対面できるよう取り計らってもらう。
里人が一人で来たふりをして「悪七兵衛景清はいるか」と声をかけると、景清は「やかましい」と怒り、今の有様ゆえに故郷の者に名乗り出られなかった事を嘆き、「万事は夢、自分はこの世に亡き者と思い切ったのに、昔の名で呼ぶな。今の名の日向の勾当でなく、仕方なく捨てた武士としての名を呼ばれ、昔の悪心を起こすまいと思っても腹立たしい」と苛立つ。しかしすぐ思い返して、「世話になっている土地の方々に憎まれれば、盲人が杖を失うようなもの。不自由な身の癖でひねくれた事を言ったのを赦してください」と詫び、目は見えずとも鋭敏に外界を感じ取れることを述べ、「私も平家語りをする者、物語を語って慰め申し上げよう」と言う。
【盲目の感覚】目こそ暗けれど 目こそ暗けれども 人の思はく 一言のうちに知るものを 山は松風 すは雪よ見ぬ花の覚むる夢の惜しさよ さて又浦は荒磯に寄する波も聞こゆるは夕汐もさすやらん さすがに我も平家なり 物語始めて 御慰みを申さん
里人は、親子を対面させる。人丸が、名乗ってくれなかったのを恨み「親の御慈悲も子によるのですね」と嘆くと、景清は、零落した我が身を恥じ、「子を思ってそうしたのだから、恨まないでくれ」と言う。そして、かつて源平の戦の時、御座船に欠かせない者として誰よりも頼りにされたことを追懐し、「麒麟も老いれば駄馬にも劣るのと同様」と今の有様を嘆く。
里人が人丸の願いを取り次ぎ、屋島の戦での活躍の事を聞かせてくれるよう頼むと、景清は里人に、話が終われば娘を故郷に帰すことを約束させて語り始める。
【屋島の合戦】寿永三年三月下旬、源平は海陸別れて陣を張り、勝負を決しようとしていた。平教経が、「味方の勝利が無いのは、偏に義経の計略が優れているためだ。何とかして義経を討ちたい」と宣うので、景清は「義経とて鬼神ではない。自分の命を捨てれば討てるだろう」と心に決め、最期の暇を請い少人数で上陸した。向かってくる源氏の兵に、景清が夕日に大薙刀を閃かせて切り掛ると、敵は四方に逃げたので、名乗りを挙げつつ追いかけ、三保谷十郎の兜の錏を掴んで引っ張った。錏はちぎれて手に残り、三保谷は逃げ延び、遥か遠くから「恐ろしい、お前の腕の強さよ」と呼びかけると、景清は「三保谷の首の骨こそ強いぞ」と笑い、陣に退いた。語り終わると、人丸に向かい、「この、幾程も無いつらい命も終わりが近い。早く帰って我が亡き後を弔ってくれ。盲目の冥途の闇の灯し火、悪道に掛かる橋とも思い頼りにしよう。さらば、私はここに留まる」と告げる。人丸も「では行きます」と答え、その一声だけを互いの形見にして、親子は別れたのだった。