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鑑賞の手引き 自然居士 (じねんこじ)

観阿弥 原作  世阿弥 改作

※「自然居士」は、13~14世紀に実在し活躍した異装の説教芸能者で、既成宗教の排斥を受けつつも庶民の人気を集めた風狂の人物をモデルにしています。

[京の都東山、雲居寺の境内。ある日の夕刻]
はじめに、東国の人買い商人(ワキ・ワキツレ)が現れ事情を語る。
都で一人の幼子を買ったが、少しの間と言って今朝から出かけ帰ってこない。雲居寺で自然居士の説法が開かれているそうなので、そこで探そうと思う。

雲居寺門前の者(間狂言)が出て、自然居士を説法の場に呼び出す。今日が七日間の説法の最終日で、結願の日である。

居士は高座に座って説法を始める。そこへ一人の少年(子方)が来て小袖と願文を捧げ、門前の者が取り次ぐ。居士が願文を読むと、「両親の霊の供養のため、身代衣を奉る。この憂き世を早く出て、両親と同じ極楽に生まれよう」と書かれていた。居士や聴衆が感涙を流していると、人買いが来て少年を引っ立てていく。

その事を聞いた居士は、先程願文に「身代衣」とあったのは、それが少年の我が身を売って得た衣だったからだと気づく。そして、大津松本の渡し場まで人買いたちを追いかけていき、小袖と交換に少年を返してもらおうと決意する。門前の者は、せっかくの七日間の説法が中断されて無になると言うが、居士は「説法は善悪を教えるためのもの、今の少年と人買いの善悪は明らか」と、小袖を持ち渡し場に急ぐ。

[近江国大津の里、琵琶湖のほとり。同じ日の後刻]
居士が大津に着くと、舟はすでに琵琶湖の岸を離れていたので、引き止めるため大声で「人買い舟」と呼びかける。人聞きが悪いと咎められると、すかさず居士は「今漕ぎ初めた舟だから『一櫂舟』と呼んだのだ」と機転をきかせる。

居士は、小袖を投げ返して水に踏み込み、船端をつかんで引き止める。人買いは腹を立てるが、仏教者を打つことはできないので、代わりに少年を打つ。打たれて何の声もしないので、居士は死んだのかと心配し、見てみると縛られ猿轡をされたいたわしい様である。

少年を返すよう頼むと、人買いは「自分たちには『人を買い取ったら、二度ともとの持ち主には返さない』という大法がある」と断る。しかし、居士も「私たちにも『人を助けに来て助けられなければ、二度と本寺には帰らない』という大法がある。仕方ないので陸奥の国の奥まで行くとしても舟から下りない」と座り込んでしまう。人買いは「命を取ろう」と脅すが、居士は「もとより捨身の行、ちっとも恐るまじ」と言って平然としている。困りきった人買いは、この上は散々居士をなぶってから少年を帰してやることにする。

陸に上がると、人買いは居士に得意の舞を舞うよう言って烏帽子を渡す。舞い終えると、さらに舞を所望する。居士は今度は舟のめでたい由来を語りつつ舞う。

【舟の起こり】古代中国に、蚩尤という反逆者がいた。黄帝は彼を滅ぼそうとしたが、海に隔てられて攻められないでいた。あるとき臣下の貨狄が、湖に浮かんだ柳の落葉に、落ちてきた蜘蛛が乗って、風に吹き寄せられ岸に着いたのを見、このことから思いついて舟を発明した。黄帝は、この舟で海を渡り蚩尤を滅ぼし、一万八千年の御代を治めた。
 人買いは、次は簓(ささら。楽器の一種。竹を細く割って束ねたものを、刻み目をつけた細い棒と摺り合わせて音を出す)を摺ってみせるよう言う。簓が無いので、居士は、東山の僧が扇の上に木の葉が散ったのを、数珠で払った音から生まれたという簓の由来を語り、自分も数珠と扇を使って舞い、手を合わせて少年を助けるよう重ねて乞う。

次には鞨鼓を打って見せるよう言われ、居士は「これが最後」と約束して鞨鼓を着けて舞い、そのまま少年を舟から降ろして都に連れて帰ってゆく。

【結びの詞章】本より鼓は波の音 本より鼓は波の音 寄せては岸をどうどは打ち 雨雲迷ふ鳴神の とどろとどろと鳴る時は 振り来る雨ははらはらはらと 小笹の竹の簓を摺り 狂言ながらも法の道 今は菩提の 岸に寄せ来る 舟の中より ていとうど打連れて 共に都に上りけり 共に都に上りけり