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一角仙人(いっかくせんにん)

金春禅鳳 作  季‥晩秋  所‥天竺婆羅奈国(インド中部)

※「太平記」によれば、一角仙人は、鹿が、仙人の精液の混ざった尿のかかった草を食べて妊娠し生まれました。龍神を閉じこめた訳は、雨に濡れた岩にすべって転び、雨を降らせる龍神たちに腹を立てたためです。
仙人は、愛欲の念を持つと神通力を失うものとされていました。

※ 始めに、舞台上に岩屋と庵の作リ物が出される。

天竺婆羅奈国の帝王に仕える官人(ワキ)が、美女(シテツレ)を輿(輿舁‥ワキツレ)に乗せて伴い、深山へ来る。官人はここへ来た理由を語る。
【仙人と龍神】婆羅奈国の辺境に、仙人が住んでいる。鹿の胎内から生まれたため、額に角が一本生えているので、名を一角仙人という。ある事で龍神たちと争い、神通力を用いて諸龍を岩屋に封じこめてしまったため、数年間雨が降っていない。帝はこれを嘆き、策を練った。旋陀夫人という宮中で最高の美人を、道に迷った旅人のふりをして仙人の住む深山に送れば、仙人は夫人に心惹かれて、神通力を失うだろうと計略を立てたのだ。
【深山の庵】一行は、雲が来た道を隠し、寒風が仮寝の夢を破る険しい旅を続ける。露時雨に濡れた紅葉に吹く秋風が身に沁みる。霧や雲を分け、どことも知れぬ山中に分け入る。
山遠くしては雲行客の跡を埋み 松寒うしては風旅人の 夢をも破る 仮寝かな 露時雨漏る山陰の下紅葉 色添ふ秋の風までも 身に沁みまさる旅衣 霧間を凌ぎ雲を分け たつぎも知らぬ山中に おぼつかなくも踏み迷ふ 道の行くへは如何ならん
 芳香の漂う、木の枝を組んだ庵を見つけ、様子をうかがうと、中から声がする。
「瓶には煉り固めた一滴の水を蔵し、釜では青山の雲を煎じる。人の姿は見えず、青々としていた峰の梢も今は紅葉し、秋の景色は風情のあることだ」
一角仙人-1
瓶には黒煉一滴の水を蔵め 鼎には青山数片の雲を煎ず 曲終へて人見えず 江上数峯青かりし 梢も今は紅の 秋の景色は面白や
 官人が庵へ声をかけると「不思議なことだ。ここは高山が連なり人の通わぬ所、早く帰りなさい」と答える。「道に迷った旅人です。日も暮れて困っているので、宿を貸してください」と頼むと「人間の交流のあるべき所ではない」と断る。
「さては仙人の住む地に入ったのか。姿を見せてください」と乞うと、一角仙人(シテ)は庵の戸を開けて、蓬髪から角を生やし、木の葉の衣を着た姿を現す。
【美女の誘惑】仙人は、宮女のような華麗な装いの美女を見て、素性を尋ねる。官人は、ただの旅人だと偽って「旅の慰めに、酒を持ってきました」と勧める。
一角仙人-2
「仙郷では松葉を食べ苔を身に着け、桂から滴る露を舐めて不老不死の身を保つ。酒は飲まない」と断るが「どうぞ気持ちを受けてください」と夫人が酌に立つと「確かに、好意を無にするのは鬼畜にも劣る」と盃を受ける。
仙郷では、袖にかかった菊の露を払う間にも千年も時が過ぎるものだが、それほど長く続くだろう夫人との契りの、今日が始まりなのだと思う。 夕べの月の盃を 受くるその身は山人の 折る袖匂ふ菊の露 打ち払ふにも 千代は経ぬべし 契りは今日ぞ初めなる 面白や盃の 廻る光も照り添ふや 紅葉襲の袂を 共に翻し翻す 舞楽の曲ぞ面白き
 月明かりを浴びて夫人が舞うと、仙人も、つられて共に舞い始める。〈楽〉
 音曲を楽しみ盃を重ねるうち、仙人は夫人の情愛に魅了され、足がふらついて舞もおぼつかなくなり、酔って寝入ってしまう。すると夫人は喜んで、臣下たちを引き連れ、帝都に帰る。
【龍神の解放】突然、龍神を封じ込めた岩屋の内から、天地に響く鳴動が起こる。 仙人は驚いて目を覚ます。「おかしい。思いがけず愛情のこもった盃を受けて、酔って眠った隙に、岩屋が鳴動し始めたのは、どうしたことだ」
一角仙人-3
 岩屋から声がして「一角仙人、人間に交わり心を悩ませ、煩悩の酒に酔いつぶれて神通力を失った、その天罰を思い知れ」と言う。
 山風が吹き荒れて空がかき曇り、岩屋も急に揺れ動いたと見えた瞬間、大岩が四方に砕け散り、龍神たち(子方)が飛び出して襲いかかる。〈舞働〉
 仙人は慌てて刀を取って戦うが、神通力を失ったため、弱って倒れてしまう。龍神は雲を起こし、雷鳴や稲妻で天地を満たすと、大雨を降らせて洪水を起し、白波に乗って龍宮へ帰っていく。