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鑑賞の手引き 藤 戸 (ふじと)

作者不明  季:春  所:備前国(岡山)藤戸

【前場】佐々木三郎盛綱(ワキ。源頼朝の家臣)は、藤戸の合戦で先陣を勤めた功により、備前の児島を領地として賜った。政道正しい御世同様に麗らかな春の海を渡り、従者(ワキツレ)を引き連れて領地入りする。盛綱は「領主が国入りしたので、訴えたいことがある者は申し出よ」と領民に触れを出す。
 それを聞き、一人の老女(シテ)が駆けつける。「愛しい子を殺した人を、せめて見に参りましょう。老いた私は、昔の春に返ってほしいのに」と泣く。
 盛綱が、訴えたげな様子の老女に気づき声をかけると「何事も自分の行いの報いなので、世を恨むまいとは思いますが、我が子を罪も無いのに波の底にお沈めになった無慈悲さに、生き残った母が恨みを申しに参りました」と進み出る。
「まったく心当たりがない」と答えると、「藤戸の渡しで道案内して殺されたのは、正しく我が子ですのに」と言い募る。「ああ声が大きい、何だと」と動揺すると、「まだ知らぬふりをするのですね。皆知っているのですよ。事実を明かして弔いをし、残った母や子を慰めてくだされば、少しは恨みも晴れるのに。
 親子とは何なのでしょう。幻のようなこの世に生まれて来て、死別となれば、悲しみに捕らわれ苦しみます。海に沈められた我が子を、せめて弔ってください」と訴え嘆く。盛綱は老女をそばに呼び寄せ、事実を語る。

【盛綱の告白】去年の三月二十五日の夜、一人の漁師に、馬で海を渡れる場所が有るか尋ねた。「川の瀬のような所が一つだけある」と答えたので、二人だけで浅瀬を確認して帰ったが「下賎の者は節操無いので、他言するかもしれない」と思い、男を掴んで引き寄せ刀で二回刺し、海に沈めて帰った。

涙を流す老母に盛綱は「跡を弔い妻子も取り立てるので、前世の報いと思って恨みを晴らしてくれ」と言い、死骸を沈めた場所を教える。老母がそちらを見て「人の話したとおりだ」と言うので、盛綱は、隠したはずの行為が知れ渡っているのを悟る。老母は「これは何の報いだろう」と絶望し、悲しみを語る。
人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(『後撰集』)という歌の意味を今こそ思い知りました。本より不確かな老少不定の世に、若者を先立てて老親が残され、呆然として、親子の二十年余りの年月が夢のように思われます。少し離れていても再会が待ち遠しかったのに、またいつ会えるというのでしょう。生きていると辛いことばかり。頼りにしていた息子が死んで、今は何を命の支えにしましょう。いっそ、亡き子と同じように殺してください」 
激情に駆られて盛綱に迫り、払いのけられ、人目も憚らずに地に伏し転がって「我が子を返してください」と、正気を失ったように嘆く。
盛綱は、従者(間狂言)に命じて老母を家へ送り届けさせる。〈中入〉

藤戸(久見_1987.03)
〔間狂言:老母を送り届け、盛大な供養を行うことになったと触れて回る〕


【後場】盛綱たちが経を唱えていると、夕暮れの海上から、男の亡霊が現れる。「泡のように消えた身で、何が心残りなのか。波濤に沈んで浮世の春を知らず、生まれ変わりもせず漂っている。忘れようと思う心がかえって、ただ忘れずにいるより苦しいのだ。あの浅瀬は、思えば三途の川瀬であった」
 驚く盛綱に、亡霊は「馬で海を渡った稀代の例によって武名を揚げ、この島を賜ったのは私のおかげなのに、褒美を得るどころか殺されたことこそ稀代の例だ」と恨みを言い、凄惨な死の有様を再現する。


【漁師の最期】盛綱は浮き洲の岩の上に男を連れて行くと、氷のような刃を抜き、胸を二度刺し通した。男は気が遠くなったところを海に押し入れられ、海底に沈んだが、折からの引潮に引かれて浮き沈みし、水底の岩の間に流れついた。「悪竜となり復讐しようと思ったが、弔いを受け、仏法の救いの船に乗り、生死の海を渡って彼岸に至り、成仏することができた」と、静かに手を合わせる。