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鑑賞の手引き 鉢 木 (はちのき)

世阿弥または観阿弥 作  季:冬

【前場・上野国(群馬)佐野】 ※はじめに中年の女性(シテツレ)が出て、地謡座前に座る。
諸国を巡る旅の僧(ワキ)が、雪深くなった信濃国(長野)を出て鎌倉に向かう途中、佐野の辺りで大雪に行き悩み、まだ日は高いが近くの家に宿を乞う。女が出てくるが「主人が留守なので」と断られる。僧は外で主の帰りを待つ。
そこへ、主の男(シテ)が帰ってくる。「ああ、よく降る雪だ」と空を見上げ、「世に栄えている人は酒を飲んで楽しむことだろう。雪は羽毛のように乱れ飛び、私はぼろ服に雪をつけてさまよっている。寒くて面白くもない日だ」と、袖を掻き合わせてつぶやく。家の外に妻が立っているのを見てどうしたのか聞く。
主は事情を聞き同情するが「あまり貧しい家なので」と断り、少し先の里に行くよう勧める。僧は「つまらない人を待ったものだ」と、また笠を着け出て行く。
妻が泊まらせるよう頼むので、主は後を追い呼びかけるが、雪が激しいため聞こえない。道の前後を見失って袖の雪を払いつつ佇む様は、古歌の風情である。
駒止めて袖打ち払う陰も無し佐野のわたりの雪の夕暮(『新古今和歌集』藤原定家)
追いついて「これも何かの縁。霜の降りるような寒い家ですが」と、家に招く。


家内に落ち着くと、夫婦はなけなしの粟飯をふるまう。主は「粟は以前は詩歌で触れるものでしたが、今はこれで命をつないでいます。かの盧生は粟飯の炊ける間に五十年の栄華の夢を見ましたが、私は寒さで眠れないので夢も見ず、良い思い出もありません」と侘しい思いを語る。〈※後見が雪のついた鉢の木を出す〉
鉢木(1990/06久見)徐々に寒さがつのるが、焚き火をする薪が無い。主人は、盆栽を伐って薪にすることを思いつく。「昔は盆栽をたくさん持っていましたが、落ちぶれてからは無益と思い、皆人に譲りました。しかしまだあそこに、雪をかぶった梅・桜・松があります。秘蔵の木ですが御僧のためなら功徳になります」と、僧が止めるのも聞かず盆栽の雪を払い落とす。
主人は趣深い木の様子を見てためらうが、惜しみつつも順々に伐っていく。 
早春他に先駆けて咲く梅を手始めに、春ごとに開花を待ち望んで丹精した桜を「火桜(緋桜)にするのが悲しい」と伐り、枝振りに工夫を凝らして育てた松を、「松は煙の立つものだから、薪になるのも理」と伐り、薪を僧の前に運んで火をおこし、「近くに寄ってお当たりなさい」と勧める。
僧が深く感謝し、主の名を熱心に問うと、「佐野源左衛門尉常世のなれの果て」と答える。落ちぶれた訳を聞くと、「一族に領地を横領され、最明寺殿(鎌倉幕府五代執権)も修行に出て留守で、訴訟をすることもできなかった」と事情を語り「これほど落ちぶれてはいますが、ご覧ください」と、千切れた鎧、錆びた薙刀、痩せ馬を僧に示し、「今すぐにでも鎌倉に大事があれば、たとえぼろぼろでも武具を引っ掛け痩せ馬に乗って一番乗りし、敵が大勢でも真っ先に切り込んで、討ち合って死ぬ覚悟」と片袖を脱いで立ち上がり、強い志を見せるが、「このままでは無駄に飢え死にです。なんと無念なこと」と沈み込む。僧は主を慰め、暇乞いをする。夫婦は名残を惜しんで引き止めるが、僧は「鎌倉においでのときは訴え出るつてになります。望みを捨てなさるな」と言い残して去る。〈中入〉

 

〔間狂言:使者が、東国中の大名小名に鎌倉から非常召集が掛かったことを触れて回る〕

 

【後場・相模国(神奈川)鎌倉】 ※最明寺殿(ワキ)が家来(ワキツレ・間狂言)を従え床机に座す。
鎌倉へ軍勢が集結しているという話を聞きつけ、常世も武装して馳せ参じる。大名達が金銀の武具を着けて見事な馬に乗り、家来を連れて鎌倉に上る中、常世の無残な格好は物笑いの的だが、「決意は誰にも負けない」と勇み立つ。しかし、よれよれの痩せ馬は鞭を打っても進まないので、馬を降り追い立てて道を急ぐ。
最明寺殿が、家来に「四十歳ほどで、千切れた鎧と錆び薙刀を着け痩せ馬を自分で引いた武者を連れて来よ」と命じる。家来が常世を見つけて命令を伝えると「敵の者が、私を謀反人と讒訴したために御前で首を刎ねられるのだろう」と覚悟して御前に参上する。見渡すと、きらびやかに居並ぶ武将達が目配せして常世を笑っているが、悪びれずに御前にかしこまる。
最明寺殿は、自分こそ以前宿を借りた僧だと告げる。驚愕し平伏する常世を、「以前の言葉を違えず参上したことはまことに殊勝」と褒め、「この召集も常世の言葉が誠か偽りか知るためのものだった。集まった人々も訴訟があれば申し出よ。まずは常世の本来の領地を返し与えよう。また、盆栽を伐って焚いた志は忘れぬ。梅桜松の返礼に、加賀の梅田、越中の桜井、上野の松枝の三箇所を子々孫々まで領地として授けよう」と、自筆の書状を投げ与える。常世は書状を頂き、居並ぶ人々に向かって誇らしげに掲げてみせる。
諸軍がそれぞれの故郷に帰っていくなか、常世は晴れ晴れとした顔で馬に乗り、佐野の領地へと喜び勇んで帰ってゆくのだった。