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鑑賞の手引き 飛 鳥 川 (あすかがわ)

世阿弥 作  季:初夏、皐月初め  所:大和国(奈良)飛鳥川辺

上京辺りに住む男(ワキ)が、友若という少年(子方)を連れて飛鳥川のほとりに来る。友若には生き別れになった母がおり、二人は再会を祈るため吉野に参詣して、都に帰る途中である。

昨日行きに通った道は五月雨に濡れて草木に露が光り、岸辺の田の早苗も青々として、川は水かさが増して波立っている。向こうの方に笛や鼓を鳴らして田植歌を謡うのが見えるので、二人はしばらく見物することにする。
すると、田植女たち(シテ、シテツレ)が早苗の入った篭を手に近づいてくる。岸田の緑の美しさを愛で、ホトトギスも鳴き声を添える盛んな田植歌を聴き、神代から続く豊かな実りを讃える。

年かさの女が「しばらく休んでから田を植えよう」と言って笠を脱ぐ。
男は、梢の深緑に映えて裳裾を濡らし田を植える人々の風趣を楽しむ。
川は昨夜の雨で水かさが増し、浅瀬が分からなくなっている。昨日渡ったのと同じ場所を渡ろうとすると、女が「そこは渡瀬ではないから少し上流を渡りなさい」と声をかける。男が渡瀬の場所がたった一日で変わったことを不思議がると、女は「この川の名を飛鳥川と知っておられるなら、昨日の淵は今日瀬に変わるとご存じないのは無粋なこと」と言い、男に尋ねられて、飛鳥川が特に淵瀬の定まらないと言われる由来を語る。

「飛鳥川は山川に連なり石が多く、淵や瀬の場所が常に変化することが昔から言われていて、和歌にも 世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵は今日の瀬になる(世の中に変わらないものなど無い。飛鳥川で昨日淵だった場所が、今日は浅瀬に変わっているように。古今集)とあります。夜の間の五月雨で水かさが増して濁った川を、無用心に渡るのはおやめなさい」と止める。
女は春夏秋冬の移ろいの早さを思い、「五月雨に物思ひ居ればほととぎす夜深く鳴きていづち行くらん(梅雨の長雨に物思いをしていると、ほととぎすが夜更けに鳴いた。一体どこに行くのだろう。古今集)」という和歌の心を実感して、夜と昼、夢と現実の境目も曖昧な、はかない生を述懐する。

やがて気を取り直し、「苗が育ちすぎる前に、長雨の日数も重なったから、明日と言わずに今すぐ田植えをしよう」と、連れ立って田植えを始める。
いくばくの田を作ればかほととぎすしでの田長を朝な朝な呼ぶ(時鳥はどれほど多くの田を作るから、農夫の長を朝ごとに呼ぶのだろう)という歌があるのも道理、死後の世界の山を越えて来て声を立て、時の過ぎ行くのを教えるから、「時鳥」と書いてホトトギスと読むのだ。(※しでの田長は時鳥の異称。一説に「しで」が死出と解されてあの世と行き来する鳥とされたという)

五月山梢を高み時鳥鳴く音空なる恋もするかな(五月の山の梢が高いから、時鳥は高い空中で鳴く。そのように私も、空 しく泣く恋をすることよ)という歌のように、恋しい我が子の行方も知らず、山や里、国々浦々を探し回る日々は三年目の春も過ぎて夏になり、こんな仕事にもいつの間にか馴れた。袖を浸して、さあ早苗を植えよう」

女は次第に感興が高じて舞を舞う。
そして、秋の雁の鳴く頃刈った田を、夏の時鳥の鳴く頃植えることに興じ、名のある田を次々に挙げる。玉の波散る由良の湊田、潮も交じる住吉の岸田、入り江に任せる難波田の伏し水、都辺では伏見田鳥羽田、これは都に近い田、と続けるうち、袖を吹く風に心乱れ、我が子が恋しく懐かしいと泣き崩れる。

その様子を見た少年は、女が自分の母だと気づいて名乗り出る。女は夢ではないかと驚く。互いに近寄って見つめ合い、親子と確かめて再会を喜ぶ。