金春禅鳳 作 時:三月、日中から夜半 所:山城国嵐山
※ まず後見が、桜の枝を立てた一畳台(花の咲き満ちた嵐山を表す)を舞台に出す。
昔吉野の桜を移し植えたと伝えられる嵐山に、今が盛りという花の様子を確かめるため、帝に遣わされた勅使の一行がやってきます。勅使たちは、山を見晴るかし「都にはこれほどの山桜は無い。かつて柿本人麻呂が『雲のようだ』と詠じた吉野山の桜が偲ばれて、間近で見るよりもなお優れた景色」と感嘆します。
そこへ、花守の翁と姥が箒を持って現れ、天に届くように高い花の梢や、永遠に続くかとも思われる春の眺めを愛で、「吉野山は都から遠すぎて帝が花を見に行けないので、そこの千本もあるといわれる山桜の種を、嵐山へ移し植えたのです。ここが花の名所になったのも君の恵み」と太平の御代を讃えます。続いて、都から行き来する花見の車、日は西に廻り雲が陰をさして行く嵐山、麓に流れる戸名瀬の急流の、落花の滝と見紛うような白波などの、春の盛りの景色を謳います。
げに頼もしや御影山治まる御代の春の空 さも妙なりや九重の さも妙なりや九重の 内外に通ふ花車 轅も西に廻る日の 陰行く雲の嵐山 戸名瀬に落つる白波も 散るかと見ゆる花の瀧 盛り久しき景色かな 盛り久しき景色かな
二人が木陰を掃き清め礼拝するのを見て、勅使が不思議に思い訳を尋ねると、「私達は嵐山の花守で、ここの桜は皆神木だからです」と答えます。なぜ神木なのか聞くと、「吉野の桜を移したものなので、吉野の神である木守の神、勝手の神が折々人知れずいらっしゃるからです」といいます。重ねて、花を散らす「嵐」という、桜にとっては嫌な名を持つ山が、なぜ花の名所に定められたのか問うと、「それこそ奇特を現そうとの神慮。御吉野の神の力で、名こそ嵐の山でも花は散るまい。風に勝ち木を守る、勝手木守の夫婦の神とは私達のこと」と明かし、吉野・嵐山の自然を、仏法の尽きせぬ力や平和な御代になぞらえて賛美します。
笙の岩屋の松風は 笙の岩屋の松風は 実相の花盛り 開くる法の声立てて今は嵐の山桜 菜摘の川の水清く 真如の月の澄める世に 五濁のにごり有りとても 流れは大堰川 その水上は世も尽きじ いざいざ花を守らうよ
そして勅使に夜を待つように告げ、雲にうち乗り、夕暮れの空を南を指して吉野の方に飛び去ります。〈中入〉
〔間狂言:吉野の蔵王権現に仕える末社の神が現れ、嵐山の桜の謂れや、神々の来臨を待つ間、勅使の暇を慰めるよう命じられたことを語り、舞を舞ってみせる〕
夜、木守勝手の男女の神が桜の枝を手にして現れ、山河を見渡し、御代の長久を寿いで、薄物の美しい袂を翻して舞を舞います。
やがて南方から芳しい風が吹いて瑞雲がたなびき、金色の光を放って蔵王権現が勢いよく来現します。権現は、衆生の苦しみを救い国土を守護する誓いをあらわすと、木守勝手・蔵王権現の三神は名は異なっても同一の神であると示します。
三神は各々花に戯れ梢を翔り、嵐山は、さながら吉野の霊地金峰山のように光り輝き、栄えゆく春は久しく続くのでした。