能楽「鞆浦」は、私の祖父大島寿太郎が1917年(大正6)年に創作し、自身で初演した作品で、風光明媚な福山市・鞆の浦を舞台に沼名前神社の素戔鳴の神が天下太平を寿ぐというものです。創作された大正時代に2、3回演能された記録は残っていますが、1995年、私が演能しましたのが、約80年ぶりのことでした。その再演奉納記念に併せて、能楽「鞆浦」の石碑を建させていただきました。
その石碑は沼名前神社能舞台見所の右寄りに建てられていて、謡の詞章の一部分「鞆の御社千木高く 岩根太しき玉殿に 朝日輝くたふとさよ 朝日輝くたふとさよ」の文字が刻まれています。一緒に植樹致しました若松も、よく手入れしていただくおかげで、元気に能舞台を見守っているように見えます。
能楽「鞆浦」再演奉納、石碑建立の時には、地元鞆の方々をはじめ多くの方々にご支援賜りましたこと、あらためて感謝申し上げます。
なぜ、祖父が能楽「鞆浦」を作ったのか。それは、この能舞台の歴史にあるのではないだろうかと思っています。
私の家が所属する喜多流の流祖は七歳の時、豊臣秀吉の前で羽衣を舞い、秀吉に能役者として召し抱えられ、江戸時代徳川二代将軍秀忠より一流の樹立を許された方です。秀吉が戦陣に持ち運んだとされているこの能舞台には喜多流の流祖をはじめ、数々の先人達の足跡と情熱が込められていて、能が求めているもの、今世の中で忘れられているものが、そこで探し出されるのではないでしょうか。それを、気付かせてくれるために祖父は能楽「鞆浦」を作ったのではないかとミステリー風に推測しています。