甦る老女の面  十六世宗家 喜多六平太

大島久見傘寿記念 祝賀能パンフレットの巻頭言 1994(H6)年10月16日

 私とは、祖父十四世六平太の生涯の同門である流儀の長老大島久見師が80歳傘寿の祝賀の能を催して、能の道で、もっとも深奥の秘曲の一つの「伯母捨」を披かれることに、衷心からお慶ぴを申し上げたい。
 老女物の5曲のうちで、「卒都婆小町」は熟年の未だ足腰のしっかりしている間に、稽古を受け、或いは披露の道もあることだが、このたぴの「伯母捨」に「関寺小町」「桧垣」を連ねたいわゆる〈三老女〉こそは、容易に辿りつけない高遠の幽曲である。喜多流では往古より80歳あたりで許され、宗家自身としても70歳を越えて上演資格を備えるものと伝えている。現在のようには個人も催しの回数も多くはなかった古き時代に、むしろ稽古の量は古人たちの方が常時怠らなかったにも拘わらず、秘曲を尊ぴ、芸への謙虚さから老女能を勤めることなく生涯を終える人の多かったことを憶うとき、一昨年中央で好評を拍した難曲「木賊」の稽古に、2ヵ年の研鑽を貫いた久見師80歳の思い入れに対して、唯々粛然として尊敬と感慨の深まるばかりである。
 東京から持参する宗家伝来の「老女」の面に、久々に生気の呼び起こされるのを、いまから楽しみにしている。