榎並左衛門五郎 原作 世阿弥 改作
時:夏の夜 所:甲斐国(山梨県)石和(いさわ)の里。川辺の御堂
安房国(千葉県)清澄寺から来た旅の僧(ワキ)が、夜になって甲斐国石和の里にたどり着く。里の男(間狂言)に宿を乞うが、この里では旅人に宿を貸すことが禁じられているため断られる。僧は、里人に教えられて、夜な夜な光る物が出る怪異があるという川辺の廃堂で宿をとることにする。
やがて松明を手に鵜飼の老人(前シテ)が現れ、自分の憂い境涯をひとりごつ。
【鵜飼の述懐】鵜舟に燈す篝火の 後の闇路を いかにせん げにや世の中を憂しと思はば捨つべきを その心更に夏川に 鵜使ふ事の面白さに 殺生をする儚さよ 伝へ聞く遊子伯陽は 月に誓って契りをなし 夫婦二つの星となる 今の雲の上人も 月無き夜半をこそ悲しみ給ふに 我はそれには引替へ 月の夜頃を厭ひ闇になる夜を悦べば 鵜舟に燈す篝火の消えて闇こそ悲しけれ
(鵜舟に篝火をともして魚を誘き寄せる鵜飼漁、その篝火が消えた後の、後世の報いが恐ろしい。憂世を捨てようともせず鵜飼に夢中になって殺生をする儚さよ。昔の遊子と伯陽という夫婦は、共に月を愛して死後七夕の牽牛・織女星になった。今の貴人方も月の無い夜を悲しむのに、私は逆に明るい月夜は漁に向かないからと厭って、闇夜を喜んでいた。お陰で、今は菩提の光も届かず迷妄の闇に惑うのが悲しい)
「愚かな所業と、今は昔の非を悔いているけれど、甲斐も無く波間に鵜舟を漕いでいる。これほど惜しんでもいつかは無くなる命をつなぐために営む業の辛さよ」
老人は、いつものように堂に入って鵜を休ませようとして、僧がいるのに驚く。僧が老人の素性を問い、老いた身で殺生の業を行うことを諫めると、「この仕事で世を渡ってきたのだから、今更やめることはできない」と答える。
その時従僧(ワキツレ)が、二、三年前に近くの岩落という所を通った際、この老人によく似た鵜飼に一夜の宿をもてなされたことを思い出す。老人は、その鵜飼は死んだと告げる。なぜ死んだのか尋ねると、「生業のせいですよ」と言う。
老人は座してその時の有様を語る。
【鵜飼の死】岩落という場所は、上下三里の間は殺生禁断の地だが、近辺は鵜飼が多く競争が激しい。そこで、その鵜飼は夜な夜な禁を犯して漁をしていた。気づいた人々が、ある夜、見せしめに簀巻きにして殺してやろうと、待ち伏せ捕らえた。鵜飼は手を合わせ許しを乞うたが、結局波の底に沈められて叫び声も出せなかった。
「現世での罪が深いため、魄がこの世で苦を受けています。これは他の人のことではありません。私の弔いをしてください」と、老人は自分がその鵜飼の亡霊であることを明かし、懺悔に鵜飼の業を見せ、漁の面白さに興じる。
【鵜飼の業】湿る松明振り立てて 藤の衣の玉襷 鵜籠を開き取出し 島つ巣おろし荒鵜ども この川波に ばっと 放せば 面白の有様や 面白の有様や 底にも見ゆる篝火に 驚く魚を追ひ廻し かづき上げ掬い上げ 暇なく魚を食ふ時は 罪も報いも後の世も忘れ果てて面白や 漲る水の淀ならば生簀の鯉や上らん 玉島川にあらねども 小鮎さばしるせせらぎにかだみて魚はよもためじ 不思議やな篝火の 燃えても影の暗くなるは 思ひ出でたり月になり行く悲しさよ
鵜舟の篝影消えて 闇路に迷ふこの身の 名残惜しさをいかにせん
楽しみは長く続かず、老人は松明を捨て、嘆き悲しみつつ冥途に消える。
〈中入〉 〔間狂言:里の男が僧を見舞い、殺された鵜飼について語り供養を勧める〕
僧は、川原の石に法華経を一字ずつ書きつけ、流れに沈めて供養をする。すると、地獄から閻魔王(後シテ)が現れ、鵜飼が無間地獄に落とされるはずのところを、僧を一夜もてなした功徳と法華経の力により成仏したことを告げる。そして法華経を賛美し、慈悲の心で僧を助ければ仏果を得て成仏に至ることを説く。